2022/06/11

●本を整理していると、いろいろ古いものが出てきて、どうしても回顧モードになってしまう。下の写真は「季刊 思潮」のNo.1とNo.2。1988年、発行。「批評空間」の前身といえる雑誌。この二冊には大きな影響を受けた。

 

 

おそらく、(名前は知っていたはずだが)荒川修作の強烈な言葉を初めて読んだのが「No.1」で、木村敏中井久夫という名前を知ったのは「No.2」によってだったと思う。この後もずっと、長く影響を受け続ける人をこの雑誌で知った。また、当時は(この雑誌がきっかけで)市川浩の本を熱心に読んだ。

以下は、「No.1」に掲載されている荒川修作の講演から(一部、市川浩との対談から)の引用。

《もう一度もどりますけれど、あの赤ちゃんがワーと泣いた時の欲望というものは、一体どこへ行くものであるか。何を伝えようとしているのか。あれさえわかれば、我々は何をしなくちゃいけないかが明確になる。つきつめて考えていくと、この世界には空間とか時間というものは存在していないんだということが僕は分かった。なぜなら、あの赤ちゃんは我々によってつくられているものだ、毎秒。そのためには、僕だけではできないんだ、僕たちでなければ。だから我々によって作られつつあるんです。そして我々によって殺されたり、消えたりしていくわけです。》

《僕が言っていることを知ることはできても、信じることはそう簡単にできないでしょう。なぜならあなた達は学校やいろんな所で、時間とはどういうものであるか、空間とはどういうものであるか、大体教えられて、身を以って経験してきたわけです。この頭の中に完全に植えつけられているだろう時間とか空間の概念を変えない限り、あなた達には一つも救いがないってことを本当に知らなくちゃいけない。》

《それを経験させる場所を、僕は作ろうとしたわけです。日本で作りたいんですけど、そう簡単にこういうことは受け入れられないから、よその国で始まるかもわからない。経験したから何かが行われるかっていうとそうでもないんです。まだ経験のゲームの始まりなわけです。そのルールを完璧に作るためにはこんな橋を一つや二つでは到底ダメです。何百と作って、そうしてオーディエンス、あなた達がどんどんその部分を変えなくちゃいけない、使いいいように。そして初めて共有ってことが始まるわけです。共有した時に少し信じられやすい環境が生まれてくる。その環境こそ戦争なのです。この肉体などというものは、最後は、変容(トランスフォーメーション)、全的な変容の中にいかなくちゃならない。丁度、この空気といわれているもののようにならなくちゃいけない。しかし我々は停り場(ステーション)を作って生きていて、つまらない道徳を作り上げた。そういうものは、一切、この世界から葬り去ることです。一日も早く、一時間も早く。それができたら僕がしたいことなんか、全く簡単なことなのです。僕は、あなた達と同じように、同じ道徳で同じ土地で同じ言葉、同じ構文(シンタックス)の国に生まれたわけです。それでこれをやるってことは大変だった。かといってこれをしたからといってそれによって自動的に出てきたものはほとんど何もない。》

《(対談から)ぼくがモラリティーという場合、我々が時空間というものをつくっているとしたら、それを瞬時瞬時に取り囲んでいるもの、それをいうわけです。それがなければ時空が成り立たない。我々がつくりあげているであろう空間・時間というものを取り囲んで、それに意味を与えているのが道徳です。》

《もう一つの問題にサイズの問題があります。サイズ。僕が今日言った中で一番大切なことだ。一体、僕達が大きいとか小さいとか言うのは自分の体に対して言うのか、自分の習慣や趣味に対して言うのか……。それすらもほとんどの人は知らないでいると思う。どうして僕達は、簡単に蚊とか何かを殺したりできるか。あれが私達と同じ大きさで日本語ができたらどうするか、と思ってもいいですよ。蟻がこう向こうから僕の前に来たら、僕と同じ大きさになって「コンニチワ」と言ったとしましょう。構築っていうのはそれに近い。物語はそういうことがありましたって語るだけ。思想もそういうことがありますよってことだ。構築はそうじゃない。そういうのが前に本当に出てきちゃったんだ。しかも「コンニチワ」って言われてみたら、蟻の顔をしているわけだ。そいつを見てみたら、その辺をスーっと行くわけだ。それでまた次にこうだ、っていうことをレオナルドはその言葉で言ったわけですね。だから、サイズの不思議さは、これはおそらくどんなにいいろんなことをしても、決して解決するものじゃないです。》