風間志織『0×0(ゼロカケルコトノゼロ)』

寝不足の眠い目を擦って、東京国際フォーラムまで『日本短編映画集(多彩・女性監督編)』を観に行く。ちょっと無理してでも観にいったのは、風間志織の『0×0(ゼロカケルコトノゼロ)』が上映されるため。84年にPFFで一度だけ観たこの映画が、ぼくが高校時代につくった何本かの8ミリ映画に、決定的な影響を与えたのだった。ほぼ同時期に、黒沢清山川直人手塚真利重剛、などを発見して、いわゆる自主制作の8?映画にハマりかけていたのだったが、この、ほぼ同年代の埼玉の女子校生がつくった8?映画は、当時のぼくにとっては、シネ・ヴィウァンで観た何本かのゴダールと同じくらいに衝撃的だったのだ。(以来、ぼくのなかでは、風間志織、という名前は伝説的なものとなったのだった。でも、彼女の唯一の35ミリの作品『冬の河童』は見逃したままなのだったが。)ほんの15分ほどの短い映画で、今では、内容も細部もほとんど憶えていないのだが、この機会を逃すと、もう永遠に観る事が出来ないのではないだろうか、という感じで出かけた。
で、今回観て衝撃的だったのは、そのあまりのつまらなさだった。えっ、こんなだったったけ、と、しばし唖然となってしばらく立ち直れなかったくらい。当時のぼくはこの映画のどこにあんなに衝撃を受けたのだかさっぱり分らなくなっていた。という言い方はやはりウソで、いかにも高校時分のぼくが好きになりそうな「あの時代」の雰囲気にどっぷり浸かった映画で、それがあまりに「いかにも」という感じなので恥ずかしくて、いたたまれない、という感じ、というのが正確な言い方だろうか。ゴダール大島弓子如月小春仕立てとでもいうのか、いやー、80年代っていうのは、本当に徹底的に恥ずかしい時代なのだった。あんな時代に青春(恥)をおくった自分はやはりどう考えても碌なもんじゃねえなあ、あと4〜5年くらい遅く生まれていたらなあ、なんて、無意味なことを考えては、無意味に落ち込んでしまったのだった。
同時に上映された6本で面白かったのは、大園玲子という人のビデオ作品『メリーちゃんが行く』というやつ。いきなり冒頭、大船観音のどアップで始まり、例の『無』と刻まれた小津の墓へ繋がる、あからさまに大船=小津を意識した作品。『麦秋』に出てくる踏み切りと同じ場所で、ほぼ同じ位置にカメラを置いたショットもあった。しかし、いわゆる小津調を模倣したようなパロディとは、形式も内容も大きく違っている。
大船観音を母として慕い、墓の下に眠る小津を父として慕う、全身を緑色に塗りたくった、オカマのメリーちゃんと、ガンジー顔に九州弁の朴訥としたカメラ小僧のハート・ウォーミング(?)なラブ・ストーリーというのか。撮るのはもっぱら、犬やとか花とかやけん、人間はよう撮らんばい(方言の再現は全く不正確)、というカメラ小僧に、ねえ、あたしを撮って、ねえ、撮ってよ、とせがむメリーちゃん。カメラ小僧の撮った自分の写真を見て感激したメリーちゃんは、今度は、自分の8ミリカメラでカメラ小僧を撮影し始める。愛する人をフィルムに納めることで、少しだけ親離れ出来たみたい、と語るメリーちゃん。愛するものにカメラを向けることで、少しだけ親=小津から自由になれた、という、ありがちといえば、ありがちな話だけど、素直に笑って観ることができた。