●フィルムセンターで六月終わりから行われる「日本インディペンデント映画史(1)PFF30回記念ぴあフィルムフェスティバルの軌跡vol.1」(http://www.momat.go.jp/FC/Cinema2-PFF1/kaisetsu.html#outline)という特集で、なんとあの『バスクリンナイト』(香川まさひと)が上映されることを知って驚喜する。とにかく、ぼくの高校時代は、84年にPFFで『バスクリンナイト』と『0×0(ゼロカケルコトノゼロ)』(風間志織)を観たことの衝撃で決定されてしまったのだった(塩田明彦の『ファララ』も、ぼくはこの時に観ているのだが、この時点では黒沢清の『しがらみ学園』はまだ観ていなかった)。つまり、勉強などいっさいしないで映画をつくることになってしまった。高校時代のぼくにとっては、ゴダールの衝撃と同じくらいに、香川まさひとの衝撃は大きかった。『0×0(ゼロカケルコトノゼロ)』は、その後何度か観ることの出来る機会があったのだが、『バスクリンナイト』はその時一回観たっきりだ。なんというか、このフィルムが、まだこの世に存在していたのだということを知っただけで、凄くうれしい。
八ミリ映画というのはネガがなくて、基本的にオリジナル一本しか存在せず、保存も難しい。ぼくが高校時代に撮った2.5本の映画(0.5というのは、高校三年の夏休みにもなると、皆、受験勉強で忙しくなって誰もつきあってくれなくなって、仕方なく撮影を途中で中断し、不本意な形で、編集で無理矢理誤摩化してつくったもの)も、今手元にないし、あってもフィルムの状態は悲惨だろう。それに、上映するたびに、フィルムが焼けるというリスクがある(フイルム焼けの事故はけっこう頻繁に起こる)。オリジナル一本しかないのだから、焼けたコマは永遠に失われる。だから、『バスクリンナイト』が「ある」ということだけで、おおーっ、あるんだ、と思うのだ。
バスクリンナイト』は、まるで安い喫茶店のBGMのように、冒頭から途切れることなく歌謡曲がバックに流れつづけ、その前で、不条理なギャグが矢継ぎ早に途切れることなく展開されてゆくというような映画で、ぼくの頭のなかでは、ホークスの『赤ちゃん教育』や、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』と並ぶくらいの、奇跡的な傑作ということになっている。正直、今観るとどうなんだろうという気持ちもなくはないのだが、とにかく「観られる」ということに凄く興奮するのだった。
(この映画をつくった香川まさひとさんは、黒沢清の『花子さん』の脚本家でもある。)