大杉漣が亡くなったのか……。
ぼくの印象では、諏訪太朗と並んで、90年代のVシネマに出まくっていた人というのが、まず、ある。90年代に、ぼくが観たいと思うVシネマをレンタル店から借りてくると、大抵この二人のどちらか(あるいは二人とも)が出ていたという感じ(あ、あと國村隼も、やたらと出ていた)。
はじめてその存在を認識したのは、おそらく『スキャンティドール 脱ぎたての香り』(水谷俊之)というピンク映画で、ウィキペディアで調べたら84年公開となっていたけど、ぼくが観たのは87年か88年くらいで、VHSのビデオで観た(当時、実家に住む浪人生だったので---ビデオデッキは一家に一台という時代だった---夜中にこっそり、という感じで観た)。同じ年(84年)に公開された(蓮實が絶賛したことで有名な)周防正行のデビュー作『変態家族 兄貴の嫁さん』や、90年には『パンツの穴 キラキラ星みつけた!』(鎮西尚一)などにも出ているけど、これらの映画を実際に観られたのは、もっと後で、90年代中盤以降の、まさに大杉漣Vシネマに出まくっていた頃だったと思う。だからぼくにとって大杉漣は「90年代の記憶」と強く結びついている人だ。
(水谷俊之周防正行は二人とも、80年代の終わり頃に、ユニット5という、ピンク映画のニューウェーブ的な監督五人によるユニットの一員だったはず。これは会社なのか、仲良しグループなのか、詳しいことは知らないけど。『スキャンティドール』---監督が水谷俊之で脚本が周防正行---は、当時、新しい感覚のピンク映画として割と話題になっていて、何かの雑誌で読んでタイトルが頭に残っていて---その時は未成年だったが---数年後に予備校の近くのレンタル店でそのタイトルを見つけて、おおーっ、こんなところに、これが、という感じで借りて帰った。)
大杉漣は、『ソナチネ』以降の北野武の映画にずっと出ていたのだけど、ぼくにとってはそれよりも、「90年代の黒沢清の映画(90年代に黒沢清をVHSで観ていたという経験)」と切り離せない存在で、なかでもやはり「勝手にしやがれ!!」シリーズの「先生」の印象が最も強い。90年代に二十代だったぼくにとって、黒沢清を観ている時間(と同時に、黒沢清という映画作家のあり方そのもの)は特別に大きな意味をもつ、当時の自分を支えていたかけがえのないものの一つだったので、その作品と切り離せない大杉漣もまた、特別な存在だ。
(ウィキペディアをみると、大杉漣と、水谷俊之周防正行は、高橋伴明でつながっているっぽい。大杉漣高橋伴明の映画でピンク映画デビューし、水谷俊之周防正行高橋伴明の助監督だった、と。だとすれば、黒沢清大杉漣とも、高橋伴明つながり---ディレクターズカンパニーによる---なのだろう。そういえば、黒沢清の商業デビュー作『神田川淫乱戦争』の助監督には、水谷俊之周防正行という名前がある。)
(おお、『スキャンティドール 脱ぎたての香り』は、DMMの「成人映画」のカテゴリーで観られる。)
(しかしいつの間にか、DMMでは90年代の黒沢清の一連のVシネマ、「勝手にしやがれ!!」シリーズや「893タクシー」などが観られなくなっている……)