エドゥアルド・ヴィウェイロス・デ・カストロ「強度的出自と悪魔的縁組」(「現代思想」2011年11月号)、「内在と恐怖」(「現代思想」2013年1月号)を読み返していた。出自を食い破る非進化論的な生成としての縁組。捕食・被捕食における「眼」の取り合いと恐怖。ヴィヴェイロスは読んでいて鼻息が荒くなるくらい面白い。
●16日の日記に書いた(立花隆臨死体験』に出てくる)、ロバート・A・モンローという人の書いた本を図書館から借りてきた。『体外への旅』というタイトル。パラッとみただけで、まだ読んでいないが、あきらかにかなり怪しげな感じ。巻末にある、同じシリーズ(mu super mystery books)の広告にある別の本のタイトルからしてヤバい(食べるだけで直観力・超能力が目覚めやすくなる 世界の神秘料理161点を厳選紹介!!『不思議体験クッキング・ブック』とかある。ヤバいトリップ系の匂いがすごいけど、これは合法なのか? 不気味に進行するハルマゲドンへのプログラム『死海写本が告げる人類最期の戦い』という本の紹介には、《「死海写本」には「人類最期の日は2018年」という恐るべき予言が》とか書かれていて、これ今年じゃん、とか)。
でも、考えてみれば、八十年代くらいまでは、こういうオカルト的で扇情的なタイトルの本は、かなり堂々と本屋さんのメインの場所に並べられていた。ぼくが小学生だった七十年代はオカルトブームで、「UFO・宇宙人」や「超能力」や「超常現象・怪奇現象」や「陰謀論」にまつわる子供向けの本も多数出版されていて、親も、子供に平気でそういう本を買い与えていた。男の子はたいていそういう話が好きだったし、ぼくも友人たちも、何冊ももっていたし、たくさん読んだ。オカルト系のテレビ番組やマンガもたくさんあった。だからこのヤバい感じは、実はほんのりと懐かしい。
(おそらく今ではその感じは、占いとか、パワースポットとか、オーラが見えるとか、都市伝説とか、そのようなものに、つまりオカルト的なものからホラー的なものに移行して、どちらかというと、女の子の好きなものになっているのではないか。)
先日、都心に出て終電でかえってきて、勿論もうバスはないので、ウチまで50分くらい歩かなくてはならなかった。その時はもうかなり疲れていたので仕方なくタクシーに乗ることにした。タクシー乗り場に並んでいて、自分の番がきて、タクシーに乗り込んだとたん、シートにたっぷりと濃いタバコのヤニの匂いが染み込んでいるのを感じた。いまどき、こんなタクシーがやっていけるのかと思うと同時に、懐かしさという感情が出現した。
以前は、電車のなかでも普通にタバコが吸えたし、四人掛けのボックスシートには灰皿がちゃんとついていた。シートにはタバコの匂いが当然のようにして染みついていた。しかし、いつの間にかそういうことはまったくなくなっていた。ぼくはタバコを吸わないが、タバコの匂いも受動喫煙もまったく気にならないので(花粉症の酷い時期だけちょっと気になるのだけど)、新幹線の喫煙席や、喫茶店の喫煙席も、そっちの方が空いていればそっちに行くし、まったくOKなのだけど、そのような場所でさえ、空中に煙が充満していることはあっても、シートにヤニの匂いがこびりついているということは、まずない(消臭剤、脱臭剤が発達してもいるのだろう)。以前はそうじゃなかったのだけど、そうじゃなかったということをいつの間にかすっかり忘れている。
しかし、ヤニの匂いのべったりと染みついたシートに座った瞬間に、以前はどこでもこうだったという、その「感じ」をふいに思い出した。その時の、「ああ、以前はこうだった」というその「感じ」と同様に、ロバート・A・モンローの本からにじみ出る怪しさからもまた、以前は割とこんなだったのに、そのことをいつの間にか忘れていたという種類の、「ほんのりとした懐かしさ」が漂うのだった。
(別に「昔の方がよかった」と言っているわけではないし、「オカルトをたんじゅんに肯定している」わけでもないです。)