くもりのち晴れ。夜。なまあたたかい、じとっとした風が、身体のまわりにべたべたとまとわりつく。
今日、澁谷の、シネ・セゾンでやっている『オール・アバウト・マイ・マザー』の午後7時からの上映前に、浅田彰の講演があったらしいのだけど、どうしても都合がつかずに、行くことができなかった。
最近やたらと濃い夢をみる。内容が濃いのではなく、ものすごく濃密なイメージが、陳腐な比喩だけどマシンガンで撃たれるように、一挙に、多量に、ダダダダッと身体にぶつかっては、駆け抜けてゆくのだ。手足を縛られて、複数の人間からボコボコに殴られているのに耐えるみたいに、イメージの通過にただ耐える。それが何か、天才的な創造をうながすようなインスピレーションだったりすると大変に助かるのだけど、それらはただぼくに一定のショックというかダメージを与えたあと、速やかに走り去ってしまい、目が覚めると、それらのイメージは跡形もなく消えていて、残るのは、ただ疲労感と、殴られた後のようにぼんやりとはっきりしないダメージを受けた頭脳だけなのだった。
今日見た夢の、ひとつだけ残っていたイメージ。工場跡のような天井の高い荒涼とした室内。ざらざらした床。人間の身長よりやや上くらいの高さに、斜めに傾いた、明かり取りの曇りガラスの窓。窓枠が、ぞっとするほど黒い。外は雨でも降っているのか、窓からの明りは弱いのだが、室内はかなの暗いので窓際だけぼうっと光ってみえる。その窓際に大きな水槽。8割くらい水が満たされている。水槽の底は、緩いアールになっていて、水槽全体が揺りかごのようにゆらゆら揺れている。天井から、ひと筋、ふた筋と水がゆっくり垂れていて、水槽の水の表面に、乱れた波紋をつくっている。音はない。言葉で描写すると長くなってしまうが、このイメージもほんの一瞬で、すぐまた次の全く別のイメージに流れていってしまう。でも、他のは忘れた。
夜中、飲み物を買いに外へ。『ニンゲン合格』に出てきた、キック・ボードにエンジンをつけたような乗り物に乗っている人がいた。映画と同じように、エンジンのたてる、ブーンという、うなるような音が、やけに大きく響いていた。
ジャン・ジュネの『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』を読む。
(昨日の日記で風間志織の『0×0(ゼロカケルコトノゼロ)』を、愕然とするほどつまらない、みたいに書いてしまったけど、それは『0×0(ゼロカケルコトノゼロ)』という作品が悪いというよりも、ぼくが勝手に過剰な思い入れを持って観に行ってしまった、ということで、映画それ自体は、当時の高校生がつくったものとしては、まあ、面白いと言えると思う。ただ、ぼくとしては、この映画が、あまりにもあの時代の雰囲気を、というか、あの時代の自分自身をと言うベきかもしれないけど、はっきりと写してしまっていたので、ぼくの『恥ずかしポイント』にぴったりとハマッてしまった、というこのなのだと思う。)