●府中美術館で、第1回府中ビエンナーレ「ダブル・リアリティ」(02/11/16〜03/1/19)のオープニングに紛れ込ませてもらう。こういう展覧会を観ていつも思うのは、「現代美術」って何て幼稚なのだろうかということだ。それは個々の作家の作品が幼稚だと言うより、展覧会を括るコンセプトの幼稚さが、作品を幼稚な文脈に置くことで囲い込んでしまっていると感じられるということなのだ。企画者は、リアリティの希薄な時代である現代において、その希薄ななかでのリアリティのあり方を模索する作家たち(作品たち)という「括り」で展覧会を構成しているらしい。そのテキストの冒頭で手塚治虫の『赤の他人』というマンガに触れている。このマンガは、主人公が、世界は全部書き割りのような作り物で、周りの人物も全て与えられた役を台本通りに演じているだけの偽物で、それを「劇」として眺めている観客が別の場所(つまりこここそが本当にリアルな場所)にいるのであって、そのことを知らないのはこの劇の主役を演じさせられ、見世物となっている「自分」だけなのではないかと疑う話だ。この話が、世界に対する嘘臭さやよそよそしさという感覚、現代のリアリティの希薄さの感覚を表現しているということになる。ぼく自身も子供の頃このマンガを読んである種の衝撃を受けたのだが、それは、自分も全く同じことを感じ、考えていたことがある、という衝撃だった。しかし考えてみればこのように妄想は恐ろしく「自己中心的」(なにしろ自分一人を騙すために世界じゅうの人が嘘をついていて、まさに自分が世界の中心であり、主役であるという妄想なのだから)で幼稚極まりないものであって、次第に成長し、自分が決して世界の中心にいる訳ではないということを否応なしに知らされてくると、この妄想のリアリティは消滅してしまうはずなのだ。これはまだ自分が世界の中心にいて、自分をとりまく環境(特に親や教師などといった具体的な「大人」との関係)が絶対的なものであるような年齢にいる「子供の妄想」に過ぎない。いくら何でも世界はそんなに単純なものではないということを、年齢とともに嫌でも知らされるだろう。にもかかわらず、このような幼稚な妄想を、ある種のリアリティ(リアリティが希薄であるというリアリティ)を的確に示すものとして提示するとしたら、それはたんに、そのリアリティの希薄さを感じている主体が「幼稚」であることを示しているに過ぎないと思う。(特別に素晴らしい作品だとは思わないが、それでも金田実生や曽谷朝絵の作品などは、いくら何でもそこまで幼稚なものではないと思う。というか、そのような幼稚さとは別の場所にこそ、リアリティの核を探っているようなものなのではないだろうか。)
このような幼稚さを最も端的に表しているのが太郎千恵蔵の作品(こんなhttp://www.gaden.com/info/2001/010714/01b.JPG、や、こんなhttp://www.gaden.com/info/2001/010714/01c.JPG、感じ)だろう。(「笑える」という意味では楽しい作品ではあるだろうが、しかし「絵」としてあまりに酷いので、目がチカチカしてしまって、この作家の作品を観た後では、すこし時間をかけて目のチューニングを直さないと、他の人の作品が見えてこなくなってしまう。)「アモラス」と名付けられた架空の文明の歴史を描いているらしいその作品は、またも手塚治虫の「SFファンシーフリー」という本に収録されていた、確か『ドオベルマン』というタイトルだったと記憶しているマンガを思わせる。(だとすると、日本の現代美術の幼稚さの元凶は手塚治虫にあるのかもしれない。)このマンガは、全く酷い絵を描く無名の画家の作品を、死後に制作順に並べてみたら、ある惑星の始まりから滅亡までの歴史が記録されていた、という話だ。太郎千恵蔵の作品は、この手塚が描く無名の画家ドオベルマンの作品よりも「色」がついている分だけ一層酷い、幼稚な代物になっている。このような幼稚で酷く下手くそな作品を「絵として説得力がある」などと評価する人が何を考えているのかぼくにはさっぱり理解が出来ない。(お前が分かっていないだけだという人がいたら、是非教えていただきたい。)このような幼稚さをもてあそび、もちあげるものが「アート」なのだとしたら、ぼくはアートなどとは無縁に生きていきたいとさえ思う。(余談だけど、オープニングの挨拶での太郎千恵蔵氏のコメントはなかなかのものだった。「個性」「ワールドスタンダード」「9・11以降」「アートになにが出来るのか」等々の、いかにも現代的なキーワードが散りばめられたそのこなれたスピーチは、近年これほど無内容な言葉を聞いたことがなかったと思われるほどにまるで何の意味も無い言葉の集まりで、ここまで軽薄で薄っぺらだとかえって清々しいとさえ思われた。これは皮肉ではなく太郎千恵蔵という人にちょっとだけ興味を感じた。隣で聴いていた真面目な友人などは本気で怒っていたけど。)