東浩紀×笠井潔「哲学往復書簡」

東浩紀×笠井潔による「哲学往復書簡」は、毎回きちんと読んでいる訳ではなくて、たまにちらっと覗いていたという程度だが、東氏の15回目の部分を読んでいて思ったのは、東氏が、いろいろと考え工夫しているにもかかわらず、いつも世代論的な「私語り」に陥り、そこに着地するしかないという事を繰り返してしまう理由は、その問題提起のタイムスパンの短さにあるのではないかと、ということだった。東氏にはいつも、自分の書く物によって「現在」の世界に対してなにがしかの「効果」を与えたい、与えなければ書く意味がない、という強い思いがあり、その思いが強すぎて、溜めがつくれないと言うか、「現在」の姿を相対化し、浮き彫りにするために比較項として採用する過去が、あまりに近い過去になってしまいすぎているのではないだろうか。現在について思考する東氏は、いつも近いもの同士を比較しすぎるので、そこで細かな差異と本質的な差異との違いを見失ってしまいがちだ。例えば東氏は、ポストモダンとは、70年代(つまり68年以降)のフランスで生まれ、80年代に日本に輸入され、90年代に死滅した、ということになる。それはそれで間違ってはいないのだろうが、しかしそれではまるで、東氏が生まれる前には歴史などなかったと言っているようにも見えてしまう。そのような短い期間だけをみているから、まるでその30年の間に20世紀における決定的な切断面がいくつも走っているかのような話になってしまう。それはいくら何でも自分が生きている時代を特権化しすぎているし無理があるということになるしかないだろう。(以前この日記でも、東氏の言う「動物化するポストモダン」の特徴をそのまま文字通り受け取ると、まるでボードレールとかマネとかの時代について言っているみたいに聞こえるということを書いた。まあ、それは、学識などないぼくのいい加減なヤマカンのようなものに過ぎないのかもしれないが、しかし東氏があまりに現在と近い過去のみを特権視し過ぎていることは確かだと思う。)『存在論的、郵便的』が一定の説得力を持ち得たのは、デリタやドゥルーズを扱う以上、少なくともハイデカーやフロイトくらいまでは遡らざるを得ず、その結果として「20世紀」全体くらいの幅をもつことが出来たからではないだろうか。
東氏の問題設定はいつも、「80年代はこうだったけど90年代以降はこうだ」「ニューアカはこうで『批評空間』はこうだったけど、現在はこうだ」「浅田彰はこうだったけどぼくはこうだ」果ては、「オタク第1世代はこうだったけど、第2世代、第3世代はこうだ」「学部生、院生だったころのぼくはこうだったけど、今のぼくはこうだ」というところまで細分化される。「現在」はいつも狭くて浅く、しかもその現在を相対化するために比較される過去がごく近い過去ばかりなのだ。東氏が否定的な媒介として、自分と比較して意識するのは、いつも浅田彰とか柄谷行人とかの、実際に接したことのあるごく近い先輩たちばかりで、例えば、自分と小林秀雄を比較したり、西田幾多郎と比較したりはしない。つまり東氏においては「歴史」が構成されない。歴史がなければ自己の位置は相対化されず、常に現在の自分が世界の中心にいることになるだろう。これは東氏の実存と地続きであるような、アニメやゲーム、といったサブカル的なジャンルが、ジャンルとしてとても「若い」ものであるということにも関係があるのかもしれない。(若いジャンルでは、偉大な古典が「近い」ところにある。)だから、東氏にとって適切な往復書簡の相手は、笠井氏のような、中途半端に話が通じてしまう、異なる、しかし近い世代(よって世代論になりやすい)の相手ではなくて、むしろもっと年の離れた、一貫して昔の話しかしないような長老格のような人こそが面白かったのではないだろうか。蓮實重彦による有名な言葉に、自分は動けなくても知恵によって若い主人公を助けるような魅力的な老人が登場しなくなって、アメリカ映画は単調になった、というようなものがあるが、東氏にとって必要なのもそのような老人なのではないだろうか、と思ったりした。