●きのう観に行った『さよなら』の終演後に行われたトークで、矢内原氏は、「自分はネクラ」なんだとか言って、さかんに「ネクラ」という言葉を繰り返していた。矢内原氏が何歳くらいの人なのか知らないけど、いまや「ネクラ」はほとんど死語だと思われ、久しぶりに「ネクラ」という語感を聞いたという感じだった。それで思い出した「ネクラ」という言葉についてちょっと書く。
ぼくが知っている限りで「ネクラ」という言葉をポピュラーにしたのは七十年代終わり頃のタモリで、当時隆盛だったニューミュージック(アリスとか松山千春とか、そして特にさだまさし)を痛烈に批判していたタモリは、彼等はうじうじした態度が繊細だとかやさしさだと勘違いしていると言い、「彼等は根が暗い」ということから「ネクラ」と言っていた。これはタモリによる、(私小説的な)日本文学批判でもあり、あるい当時の前衛芸術の根幹にあった「土着的情念」の批判でもあるという射程をもっていた。つまり、田舎ではちやほやされていたエリートが東京に出て来て(学問に、政治に、出世に)挫折し、いじいじとしているのが「日本文学」であり、日本の前衛芸術であって、それがマイルド化され大衆化されたものがニューミュージックである、と。この批判は「根」をもつこと、それにこだわってうじうじすることの批判として、八十年代的な、バブルやポストモダンの空気を先取りして、準備するものであった。このような「気分」は、八十年代に入って漫才ブームが起こった頃からより一般化されるのだが、それ以前の、タモリがそれをさかんに主張していた頃には、とても尖った、先鋭的な考えであって、当時小学校高学年だったぼくにとって、タモリは知的なヒーローのような存在だった。つまり、「ネクラ」という言葉は、地方と東京との格差を動因として動いていたような高度経済成長期から、「一億総中流」というフラットな幻想が一般化するバブル期へと移行する過渡的な時期にこそリアリティをもった言葉であって、実際にタモリ自身、八十年代中頃にはこの言葉を使わなくなったし、とりたててニューミュージック(日本文学)批判をすることもなくなった。
現在、「ネクラ」にかわる言葉にはどんなものがあるのだろうか。テンションが低い、とか、ひきこもり系、とか、キモイ、とか、そういう言葉になるだろうか。また、たんに「暗い」と言えば済むだろうか。しかしこれらの言葉は、表面的には「ネクラ」と同等であっても、その根本的な意味が違う。「ネクラ」とはつまり、幻想としてであったとしても「根」が信じられているということで、その「根を信じている」という態度そのものが「うさんくさい(暗い)」として批判されていた。つまり「ネクラ」は「暗い」ことだけが批判されていたのではなくて、「根」にこだわっていること自体が「暗い」ということなのだ。(だから、批判された側が「私はこんなにひょうきん者なんですよ」という態度をみせたとしても、批判をひっくり返したことにはならない。)対して、テンションが低いとか言われるのは、たんにコミュニケーションのスキルが低いということでしかない。彼等のテンションを低くさせるのはもともと「根」など信じられないということだろう。「ネクラ」はむしろ「根」をもつことで当時の日本国内においてはコミュニケーション強者(マジョリティー)であった。(暗い顔をして「文学」について語れば女の子にモテた時代があったなんて、今の若者には想像出来ないだろう。)だからこそタモリがわざわざそれを批判していたのだった。
昨日のトークで矢内原氏は、自分は社交的で、今もこんなにべらべら喋っているけど、実は「根(地)」は凄く暗いんです、という意味で「ネクラ」という言葉を使っていた。斉藤環的に言えば、一見「自分さがし系」だけど、実は「ひきこもり系」なんです、ということだろう。でもそれはたんに内省的であるということで「ネクラ」という言葉のもつニュアンスとは、ややずれているように思う。