●木々の上に積もった雪が徐々に溶けて、水滴になって落下し、落ち葉に覆われた地面や、まだ木に残っている葉などを叩く音が、四方八方から立ち上がって混ざり、中心も方向ももたない水音の広がりが空間を充たしている。すべてを覆い尽くすという程に残っている訳ではない雪は、湿って黒々とした樹木、下草の緑、落ち葉の渋い暖色などのつくりだす自然なグラデーションのなかに、点在する大小さまざまな斑点としてノイズのように切れ切れに侵入してその流れを切断し、白く眩しく輝く強いコントラストをつくっている。高いところに積もった雪はある程度溶けると自らの重みを支えきれずに一塊りになって落下し、ドサッと響くその低い音が一定の間隔であちらこちらから聞こえてきて、シャァァァァァーッと中心も方向ももたずに切れ目無くつづく水音の拡がりに緩慢なリズムを刻みつける。雪の重みに耐えきれずに折れた枝の裂けた部分が露出させている樹皮の内側が、冬枯れの緑地には不似合いな暴力的な生々しい表情をつけ加えている。
樫村晴香文献目録(http://www.h3.dion.ne.jp/~shunmin/kasimura.html)なんていうのをみつけた。これは貴重。ちょっと前まで、ぼくにとって、まとめて読みたいのに本を出してくれない著述家ベスト2が、岡崎乾二郎樫村晴香だった。(岡崎氏は『ルネサンス・経験の条件』という、ルネサンスについての本というより、まるでおもちゃ箱をひっくり返したように刺激的なアイデアのぎっしり詰まった本を出してくれたのでこのリストから外れた。)確か「批評空間」3期の2号に、『症状と言語』という本を出版する予定だと書かれていたはずだが、その本が出たという話は聞かない。本を出してくれない以上、このような目録はとても助かる。
(樫村氏の文章を読んだことがないという人には、「現代思想」1997年11月号の保坂和志との対談『自閉症・言語・存在』か、同じく「現代思想」97年2月号の『言語の興奮/抑制結合と人間の自己存在確信のメカニズム』を読まれることをお勧めしたい。特に個人的には、保坂氏との対談(『自閉症・言語・存在』)で、自閉症者がいかに「愛」とも「感情移入」とも無縁に存在しているかを語る部分に強く感銘を受けた。樫村氏は、日本あるいは日本語について、【認識よりも愛情と感情移入、ナルシシズムの方が大事なのです。これは世界の外延を、神経症的演算内部に画定する行為です。そこでは他人の不幸は、その現実的組成を検証され、具体的介入・解決の対象となる前に、それについて語る者の症候として利用される。そこには現実認識ではなく、不気味な現実の排除がある。】と語り、それに対して自閉症者について考えることの意味を次のように語る。【しかし自閉症者は、多数派の脳にとって、より根本的に不気味です。そこには科学以外の橋はありません。だからそれは、認識論的変更、つまり対象ではなく自分自身に対する幻想から認識への離陸を促すのです。自閉症は普通の脳に、他者の同一視ではなく自分の感情の客体視を訓練します。】)