佐藤友哉『エナメルを塗った魂の比重』(2)

02/12/21(土)
●昨日、佐藤友哉の『エナメルを塗った魂の比重』を読んでいて、この感じは何かに似ているなあ、と思い、デビッド・リンチだとか『侯爵夫人邸午後のパーティー』の阿部和重だとかを思い浮かべ、ちょっと違うかと思い直し、そして、あっと思ったのが金井美恵子だった。特に『くずれる水』や『愛のような話』といった単行本に収録されているような時期の小説にとても近いものがあるのではないだろうか。と言うか、『岸辺のない海』なんて、そのまんま佐藤友哉っぽいかも。いや、佐藤友哉金井美恵子は一見全く似てはいない。しかし、参照元としてのいわゆる「データベース」からのイメージの取り出し方や組み合わせ方(実生活的リアリズムへの軽視)、あるいは、切り刻まれてツギハギにされ、浮遊したイメージによって固有性や自同律が崩壊する感じ(例えば佐藤氏において、コスプレや分身、あるいは人肉食によって食べた者と食べられた者の意識が混じり合う、といった設定の機能のし方、金井氏においては、全く同一の細部の描写の言葉が、異なる複数の対象に対して繰り返し使用されることなどが、固有性を崩壊させる契機となる)、そしてその固有性の崩壊した地点でこそ、逆説的に、経験の固有性のようなものが発生する場が確保されること、そして物語の通俗性への屈折した好み、断片への嗜好とそれら同士の非現実的な脈略のつけ方、加えて、ひきこもり体質や、ある種の幼稚さへの傾倒、等々に、かなり近いものがあるように感じられた。ただ、データベースとして参照される「教養の体系」が全く異なっている(金井氏はブキッシュな教養としての小説や映画、あるいは現代思想などを主な参照元としているが、佐藤氏は、アニメやミステリ、サブカル的なものといった、おたく的な教養体系を参照元としている)ことから、その表面的な仕上がりは全然違ったものになってはいる。だか、その小説世界の成り立ち方は、案外似ているように思うのだ。(佐藤氏の文章のあまりの稚拙さも、作家の力量の問題ということではなく、たんに彼が参照する教養体系に従っているだけなのかもしれない。)佐藤氏の場合、一応ミステリという体裁をとっているので、伏線は収束し、謎は解明されなければならない訳だが、佐藤氏に本気で謎賭けやトリックに対する興味があるとは思えない。むしろ、どんな内容でも(どんな突飛な細部でも)盛り込めてしまう便利な形式として、ミステリが採用されているのではないだろうか。(勿論これは作品の「質」に関する話ではなくて、あくまで、その作品世界を成立させている「成り立ち方」の話でしかないの。佐藤氏の小説は、面白いところがあるとはいえ、あまりに幼稚で稚拙だと言わざるを得ない。)
●「よりぬき偽日記」(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yorinuki-i.html)に『He Loved Him Madly(映画・読書・その他、21)』を追加しました。今年の5月中頃から6月までの日記を編集したものです。