03/11/27

部屋のなかにいると寒くて外へ出るのが億劫になるのだけど、一旦出てしまえばこのくらいの寒さはむしろ心地よくて、ちょっとした用事のためにわざわざそこまで行くのは面倒だと思っていた道行きが、久しぶりに散歩に出たような感じで、歩いているうちに次第に気分が高揚してくる。89年からずっと、何度が引っ越しはしているものの同じ駅の周辺の、せいぜい半径2、300メートルくらいの地域の内側に住んでいて、その間にこの辺りもかなり様変わりしていて、はじめてこの辺りに来たときにあった建物の多くは既になくなっているし、駅前の様子など一変してしまったとさえ言える。しかし、視覚的にはまったく違ったものになっていても、基本的な空間の区切られ方(つまり土地の所有者の区分がかわっていないということなのだろう。建物がかわっても、土地の境界はそのまま。)はあまり変わっていないし、道幅や道の繋がりや入り組んみ方や高低差なども変わっていないので、歩いて移動していると、幽霊が出るという噂のあった空き家が携帯ショップにかわり、銀行の支店がコンビニにかわり、自動車工場がマンションにかわり、古い木造アパートが駐車場にかわっても、空間を移動する感覚はほとんど変わらないこの土地のものとして感じられる。古い建物が新しくなり、背の低い建物が高くなっても、その土地の表情のようなものは空間の配置のされ方として維持されるのだけど、ただ、広く開いた空き地だった場所に、その表情とは別の秩序の建物が建つと、それによって大きく表情がかわったりもする。歩いているのが気持ちよくて、目的地に着いてしまうのが勿体なかったのでうだうだと回り道をしているとき、民家の庭先にある柿の木に生っている柿のオレンジ色に目を奪われる。柿の木の印象は、まず最初はなんと言ってもその鮮やかな柿の実の色として目に入ってくるのだが、視線はすぐにその独自の木の形態へと移ってゆく。柿の木は、まず間違いようのない独自の枝の伸び方をしている。柿の枝は、下の方では枝分かれまでの間が広く、スペースに余裕があるのだけど、上の方に行くにしたがって、まるで無理矢理にフレーム内に辻褄を合わせて納めようとする絵みたいな感じで、間隔が狭く詰まった感じになってゆくのだ。その狭まった間隔を多少なりとも散らすかのように、下の方の枝が垂直に近い角度で伸びているのに対し、上の方の枝は水平に近い角度で横方向に散らすように伸びている。この、間隔の狭まり方と角度の開き方が、やけにきれいに秩序だっている。だからといって規則的で退屈な形態かというとそうではなく、緩やかでシャープな反り方をみせる一本一本の枝の反る方向や角度が、決して単調にならないような微妙な差異をもちながらもきびきびとリズミカルに散っている。