04/12/24

トビー・フーパーツールボックス・マーダー』をDVDで。とてもきっちりと端正に出来たホラー。例えば多くのジャパニーズ・ホラーは人のセンチメントに訴えかけるもので、繊細な感情表現の一種として恐怖が語られるのだが、この映画の怖さはきわめて物理的で即物的な恐怖であり、とにかくヤバい奴が追いかけてくる(ヤバい奴に追いつめられる)から逃げるしかないというシンプルな怖さだ。しかも、逃げれば逃げる程、よりヤバくて危険な場所の方へ、入り組んでいて狭い、逃げ場のない方向へと追いつめられてゆく、という、ほとんど「悪夢」をみている時の切迫した恐怖感を忠実に再現したような怖さなのだ。(「悪夢」をそのまま再現したのではなく「悪夢」の怖さを忠実に再現していると言える。)一応、歴史のある古い建物とか、黒魔術とか、物語に一通りの説得力を持たせる根拠(言い訳)は設定されているが、それはとりあえず雰囲気づくりの背景に過ぎず、重要なのはひたすら追いつめられて、キリキリと締め付けられるように、どんどん逃げ場も余裕もなくなってくるという切迫した恐怖にある。おそらくこの映画の元ネタになっているのは、ウェス・クレイブンの傑作『壁の中に誰かがいる』だと思うのだけど、クレイブンのホラー(『スクリーム』を除く)には、『エルム街の悪夢』などもそうだと思うけど、どこか叙情的なものが入り込むことのできる牧歌性のようなものがあり、怖くて耳を塞ぎたいのだけど、何故かそれに魅了されて聞き入ってしまう残酷な「お話(童話)」のような感触があるのだけど(『壁の中に誰かがいる』などまさに怖いおとぎ話だと言える)、この映画は、お話抜きで悪夢の怖さだけが突きつけられるような感じで、映画がはじまってから、(比喩的にではなくまさに文字通りに)少しずつ少しずつ締め付けられるようにヤバくて狭いところに追いやられて、余裕がなくなって切迫感が増してゆくという展開は、考えようによっては単調でさえあると言えるかもしれない。(勿論細かいところには様々な緩急の仕掛けが端正に仕込まれており、観ている時は単調さなど少しも感じないのだが。)この映画でほっと息がつける場面があるとすれば、古い建物に住み着いた地霊のような爺さんが登場する場面のみで、この爺さんは三度登場して三度めには殺されてしまうから、ひと時ほっと出来る場面は二つしかないと言える。しかし、なにもかもが全く油断ならないという雰囲気が支配するこの映画にあって、爺さんが登場する場面では何の説明も抜きでいきなりすっと緊張が緩む(「安心」がふっとひろがる)くらいに、この爺さんのキャラクターは魅力的で(と言うか演出が見事で)、もしこの爺さんが登場しなかったら、いくら何でも余裕がなさすぎだろうという映画になってしまったかもしれない。(ただひとつ疑問なのは、主人公の女性の父親に関するエピソードや夢が全く無駄としか思えず、何故あるのかよく分からない。)しかし人は何故、みたくもない悪夢をわざわざ映画でまでも観ようとするのだろうか、徐々に逃げ場がなくなり、どうしようもなく追いつめられてゆくという、現実には決してあって欲しくはない状況によって生じる悪夢的な恐怖を、なぜわさわざ再現しようとしてしまったりするのだろうか。