04/12/28

essa氏によるこの記事になんとなく惹かれて、出先の近くの本屋で『デッドエンドの思い出』(よしもとばなな)を買って、帰りの電車のなかで冒頭の短編『幽霊の家』を読んだ。よしもとばなな(吉本ばなな)の小説を読むのは最初の二冊以来で、読まなかったのはたんなる無関心というより、嫌なものとして遠ざけていたという感じが強い。その風貌、例えば異様に嵩の多い黒髪を無造作に伸ばしているような「かまわなさ」、その「かまわなさ」が(ナチュラルさの)「演出」ではなくまさに「地」で、その「かまわなさ」を支えている、なにか「絶対的な自信(自足)」のようなものの濃厚な気配(それが他者からの視線や他者との関係をあらかじめ遮断しているように感じられる)がよしもと氏の書くものにはあって、ぼくはそれに距離と嫌悪と恐怖を同時に感じていた。(例えば「ここ」に書いた批判などは、その感覚によっている。)だが、essa氏も書くように『幽霊の家』には成熟(円熟)を感じさせるようななにかがあり、「お話」としてとても良いものだと感じた。
●『幽霊の家』を読んでまず感じることは、よしもと氏の絶対的な育ちの良さであり、その育ちの良さによって支えられている「安定」への信頼だろう。この「安定」とは、「私」という存在の安定であり、「私」と「世界」の関係の安定であり、そして、世界が常に安定していることへの「信頼」でもある。この小説のオカルト的要素(幽霊)は、世界の亀裂や恐怖をあらわすのではなく、世界の安定への確信こそががまさに「私という存在の基底面」において作動していることをあらわしている。そして主人公たちは二人とも、その安定の確信が「育ちの良さ」、つまり(自分の生のはじまりの地点から既にそうである)親や親類や地域社会との良好で持続的な関係によってもたらされていることに自覚的である。このような安定への信頼は、時に不快な「傲慢さ」を匂わせる瞬間が何度かあるものの、おおむね「いい感じ」にところで抑制されている。(この抑制を支えているのが主人公たちの「自覚」であろう。)抑制された安定への信頼は、自分一人の独立した生では獲得出来ない、古くからつづく時間や記憶の堆積によって可能になり、それは多くの読者に「癒し」の感覚を与えるだろう。これは決してインチキ臭いものではないが、しかし、高度な資本主義的世界が様々な安定した関係を切り崩しているような現在において、このような幸福を得られるのは、限られた一部の者でしかないことも、事実だろう。
●この小説を一言で要約するとすれば、女性が男性の「成熟」に「萌える」瞬間を描こうとした、と言えるのではないか。この小説で描かれる「性的なもの」のあり様は、ぼくにはちょっと受け入れ難い(感覚的によく分からない)感じもあるのだけど、この「成熟萌え」の感覚は、すごく普通だけど、とても強い説得力をもって描かれているように思う。そしてこの小説が教えてくれるのは、「成熟」には「安定への信頼」が不可欠であるという事実だろう。主人公の女性は、自らにあらかじめ与えられた安定した世界のなかで生きて行くことを選び、男性は、それに疑問を持ち、安定した世界や、女性との恋愛感情すらも切断して、海外で暮らすことを選択する。だが、それでも(互いに長く離れていても)なおこの二人の「感情」は安定したまま長く持続するのだが、それは、この二人を結びつけているのが欠如でも過剰でもなく、互いの安定性(あるいは自足性)であるというところに原因があるだろう。古くから地域の人たちに愛されるロールケーキを売る店の息子である男性は、ずっとフランスで暮らすかもしれないと言って日本を離れるのだが、彼がフランスで目指すのはパティシエであり、つまりそこには安定した連続性があり、それこそが彼に「切断」(と、それによる「成熟」)を可能にさせている。(付け加えるならば、この小説で「安定への信頼」を保証しているもう一つのものは「技術」であり「技術の伝承」であろう。)母の死によって8年ぶりに帰国した男性と、女性が偶然に会い、成熟した男性に「萌える」瞬間の描写は(essa氏も引用しているが)、とても魅力的である。
《長い外国生活でちょっと肌の質感が変わったな、と私は思った。 それから、お菓子作りのせいで右手がとてもたくましかった。 肩も昔よりずっとがっちりして、顔も細くそぎ落とされた感じだった。 目も前みたいにぼうっと優しい感じではなく、孤独と自立を知っている大人の鋭い目になっていた。ああ、こういうふうになりたかったけれど、こうなれる機会が日本にいたらいつまでもないから、彼は出るしかなかったのか、と私は目で見て納得した。》
●この小説を読むと、よしもと氏が多くの読者から支持されている理由がなんとなく理解出来るように思うし、そしてそれは(少なくともこの小説に関しては)決して下らないものではなく、貴重な何かを指し示していると思われる。しかし、成熟することの魅力と、成熟にはある程度の時間持続する安定(安定への信頼)が不可欠であることを強い説得力を持って語るこの「お話」は、その反転した図柄として、現在において魅力的に「成熟」することがいかに困難であるかということも、同時に語ってしまっているように思う。