『珈琲時光』があまりに良かったので...

●『珈琲時光』があまりに良かったので、思わず、ホウ・シャオシェンの90年代の3作(『好男好女』(95)『憂鬱な楽園』(96)『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98))+『珈琲時光』(03)の入ったDVDボックスと、(これは中古品なのだが)『ミレニアム・マンボ』(01)のDVDを買ってしまったのだった。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』ははじめて観たのだけど、これなんかまさに成熟し切った巨匠の仕事という感じで、しかしあと一歩で括弧付きの「映画」になってしまいそうな危うさもあって、ここから『ミレニアム・マンボ』のような作風へ変化する必然性なども含め、90年代から2000年代にかけて、つまり『非情城市』(89)以降、『戯夢人生』(93)から『珈琲時光』にかけてのホウ・シャオシェンの、揺れ動いていて方向を見失ったような、しかしその都度の動きは実に機敏であるような、歩みというか彷徨の過程を、改めて感じるのだった。
●『珈琲時光』には、レンタルした時にはついていなかった特典ディスクがついていて、そこには、割とだらけたインタビューが、だらだらと長く収録されていて、それをだらだらと観ていた。『珈琲時光』は小津安二郎の生誕百周年記念の映画なのだが、確かぼくの記憶ではホウ・シェオシェンは小津が好きではなかったはずで、80年代のインタビューで、自分の作品が小津に似ていると言われるのが理解出来ない、小津の映画は何本か観たことはあるが退屈で寝てしまった、みたいな発言をしていたはずだと思っていたのだが、特典ディスクのインタビューでもそのことに触れていて、昔は小津が理解出来なかったという話をしていた。小津をはじめて面白いと思ったのはサイレントの作品だった(確か『生まれてはみたけれど』だったか)とか、小津の独自のスタイルは、興行成績だけでなく使ったフィルムの量まで監督ごとに表にして貼り出されてしまうような、撮影所という(合理的な)システムのなかで仕方なしに生み出されたものだ、みたいな発言もしていて、そのような発言(のニュアンス)をみると、おそらく今でもそんなには好きではないのだろうと感じた。あと、撮影中、日本の製作システムやスタッフだけでなく、日本という社会全体のあまりの「融通のきかなさ」に対してよほど強い印象を受けたらしく、その点についてしつこいくらいくり返し喋っていた。
浅野忠信がインタビューで言っていたことで、機材を移動させる時、(日本ではこういうことは絶対にないらしいのだが)たまたま身体が大きいからという理由で照明部のスタッフにカメラを持たせたら、そのスタッフがカメラを落としてファインダーを壊してしまったらしい。(あー、このスタッフはすっごく怒られるだろうなと思ったら、誰も怒らなくて、あっ、落としちゃったね、くらいのリアクションだったそうだ。)で、その後は、カメラのリー・ピンビンは、壊れちゃったからしょうがないなあという感じで、ファインダーを覗かないままで、普通に撮影が行われたらしい。浅野忠信はこのことを、撮影中最も印象に残ったエピソードとして喋っているのだが、このことだけをみても、ホウ・シャオシェンとそのスタッフの柔軟性というか、機動性のようなものが感られる。(リー・ピンビンは普段から撮影中にファインダーを覗いていないことがしばしばあって、演じていて、カットがかかったのかと勘違いしてしまう、とも言っていた。)それだけでなく、同じシーンを、(今日は光がいいからとか、今日は俳優がいい顔をしているからとか言って)日をかえて何度も撮影するとか、移動中でも、良い風景があるとバスをとめさせて、いきなり撮影がはじまるとか、編集の度に内容が大きく変化するとか、そのようなエピソードからも、かなり多くの部分を未確定の状態で開いたままにして、その時々の状況から最大限様々なものを柔軟に取り込みつつ、全体をつくりあげてゆく感じが、その話から感じられた。