大阪へ行って来た(4)

(つづき、大阪へ行って来た。)
●大阪でいくつか観た展覧会で印象に残っているのは、Studio J(http://www.daikan.ne.jp/studio-j/main.html)というところで観た、名和晃平のエアブラシによるドローイングだった。名和晃平という人をぼくは今まで知らなかったのだが、2003年のキリンアートアワードで賞をとって、一躍売れっ子になった人だそうで、愛知万博でも作品を展示しているらしい。(しかし、ぼくに名和晃平を観るように勧めてくれた方によると、愛知万博の作品は最悪で、あれは「なかったこと」になっている、らしい。)絵を描いている人ではなくて、液体にエアポンプで空気を送って泡立たせたるインスタレーションをしたり、アヒルや鯉の模型のまわりにガラスビーズを貼付けたりする作品をつくっている人だそうだ。
今回展示されていたドローイングは、写真の印画紙のようなツルツルした表面を持つ紙に、エアブラシで、手の動きや、身体的な運動感を感じさせるような形態(線)が描かれている。ツルツルした表面に、エアブラシによって吹き付けられた絵の具の線は、その線(絵の具)の存在する位置が不確定で、それを観る視線がその線のある位置を確定出来ず、視線が安定しない。絵の具が、基底材の上にしっかりのっている(貼り付いている)ということが目で確認できず、まるでモノクロの写真のように、印画紙からイメージが浮き出てきたかのような表面をもつのだが、そこにあらわれたイメージ(線の運動性)は映像的ではなく、「手」の動きによって生まれたということを強く感じさせるものなのだ。あきらかに「手の運動」を感じさせるドローイングなのにも関わらず、紙の表面と(手の延長である)筆先とが触れ合っている(手が紙の抵抗を感じるはずの)「接触点」を目が感じられず(エアブラシによって描かれているので、実際に、接してはいないのだ)、だから、紙の質感は見えるのだが、線の存在する(絵の具と紙とが接する)位置が見えず、視線がさまよい、それが紙の表面の位置すらも不確定に感じさせもする。線の運動性が、それを観る者の身体的な運動感覚を駆動させるのだが、その感覚を「受け止める」べき紙と絵の具の接点の抵抗(手の抵抗を目で感じるような抵抗感)を目によって確認出来ないので、駆動した運動感覚が宙に浮いたまま空回りすることになり、その解決されない運動感覚によって生み出される、妙にもぞもぞした感触が浮かび上がってくる。この独特の感触が面白いのだ。絵を描いている者としては、手の欲望が刺激されつつ、それが妙な具合に脱臼されるという、なんとも言えない不思議な感じを味わうことになるのだった。
●Studio Jの名和晃平・展は、7月30日まで。