外に出たくて仕方がなくなる

●真っ白に抜ける磨りガラスの窓からの光で、外の日射しが強いことが分かると、外に出たくて仕方がなくなる。うんざりするようなべとつく暑さやそのための身体のだるさよりも、強い光を目から受け入れる(受け入れたい)ことの高揚感の方が勝つ。端から見るとぼーっと散歩しているようにしか見えないだろうけど、家々の庭で繁る木々の葉や、空き地でもくもくとこぼれ落ちそうなくらいに伸びている雑草の濃い緑に強い日射しが反射し、それが風で揺れて光もゆらゆらするところをみている時、それを目から受け入れながらふらふらと歩いている時、ぼくの身体は夏にしか訪れないような種類の高揚感に貫かれている。この時、暑さはこの高揚感のなかに吸収されてその一部となっているから、意識の上で暑さをほとんど感じていない。強い日射しは、ほとんど人通りのない正午過ぎの住宅街の地面に降り注いで反射して、晴れ渡って青い空よりも、白っぽく光る舗装された道路の方が眩しいくらいだ。強い光は濃い影を落とす。眩しく輝くアスファルトに落ちる木々の黒々と充実した影に、視線は吸引される。濃い影は、光の強さを強調すると同時に、それ自身が中身のぎっしりつまった実体のように感じられ、影の密度を感じている時、周囲の風景は反転して映像のように空虚なものにも感じられる。黒々とした影の部分をじっと見つめていると、それはやや紫がかった濃紺のような色に見えてくる。