坂道を昇ったり下ったりする時に...

●坂道を昇ったり下ったりする時に身体が感じていることを、実際に昇ったり下ったりしながら捉えなおそうとする。それは、身体の隅々までの細かい動きを意識するということではなくて、そういうことはなるべく意識しないで身体に勝手にやらせておいて、その場所をぼくの身体が移動する時に一つの塊としてのぼくの身体に泡のように浮上してくる「気分」のようなものを、まるごと、出来る限りその複雑さを損なわないように憶えておいて、対象化したいということなのだった。しかし、歩きながらある程度「掴めた」と思われたその感覚も、坂道を過ぎ、線路沿いにつづく平坦でまっすぐな道に出てしまうと、どうしても少しずつ薄れていってしまうし、単純化されてしまう。車線が分かれていて、歩道もある、南北に伸びるある程度ちゃんとした車道。道の両脇は主に住宅で、時たま、ファミレスがあったり歯医者があったりする。坂は一度ゆるく下ってから、昇りになる。道路は、両側の住宅地よりやや低くなっていて、歩道を歩いていると、両側が壁のように立ち上がっている感じがする。行き来する自動車のたてる音というより振動に近いものを、無意識のうちにある律動として感じている。坂道を昇り切る手前で、急に道の左側が切り立った崖のように落ち込み、空間がずっと遠くまでひらける。崖の下には赤茶けた土の畑がひろがり、畑のなかには小さくて古い木造の平屋(住宅というより物置のようだ)が一軒だけ建っている。その畑のひろがりの先には小学校のグランドがある。坂道を昇っていて切り立った崖にさしかかると、急に大勢の子供たちがはしゃぐ奇声がいくつも重なり混じった音がわっと迫って来て、意識しなくてもそちらに顔を向けられる。それで、切り立った崖とその下のひろがりが眼に入り、そのひろがりを渡ってくる空気の流れが感じられ、その先のそれほど広くはないグランドに大勢の子供達が詰め込まれ、わさわさ、がちゃがちゃとうごめいている様を見下ろすことになる。ひろがりを渡って来る子供達の発する奇声の近さは、視覚的な遠さと混じり合って記憶をやや混乱させる。歩いている歩道の脇には、不法投棄は犯罪ですと手書きされた木製の看板が立て掛けられている。