デュシャン

●ぼくは昨日の日記で、まるで当然のことのように、デュシャンによるレディメイドの提示は「レディメイドなイメージ」に亀裂をいれるためのものだ、というように書いたが、それはどの程度まで本当なのだろうか。確かに、デュシャンが仰向けに寝かせた小便器にサインしたものを展覧会に出品した時、美術という(既成の)制度への挑発(文脈に対するパフォーマティブな介入、あるいは「異化」を狙ったもの)という側面がなかったと言うことは出来ないだろう。しかし、そのような側面のみを強調すると、デュシャンの作品の特異性を見逃すようにも思える。
便器の作品(「泉」)だとやはり挑発的な側面が強いかもしれないが、他のレディメイドの作品、例えば、壜掛けや、帽子掛けを天井から吊るしたものや、自転車のタイアの部分や、コート掛けを床に寝かせたものなどを見ると、そこには明らかに共通したフォルムや質感、スケールに関する「好み」のようなものが感じられる。それは、外へと拡張してゆくような動きを感じさせるものではなく、こじんまりと閉じた形状と大きさを持ち、全体としては丸みを帯びたフォルムで、ツルツルした触感を持ちながらも、そこから棘のように「ひっかかる」ものが突き出ている。これらの特徴は、美的(文化的)な趣味といいうよりむしろ、デュシャンの関心がどうしてもそのようなものにひっかかり、固着させられてしまう傾向にあることを示すような、やや「病的」な感触さえ帯びているものだと思う。つまりそれらは、「文脈」を「異化」する効果によって選ばれたというよりも、たんに、デュシャンにとって普通に生活するなかでどうしても引っかかりを感じるものが、ある意味では極めて素朴に選択されているように思える。
レディメイドの作品に限らず、デュシャンの作品は(大雑把にみて、だいたい近いことをやっていると言える)他のシュールレアリズムやダダイズムの作家に比べても、独自の「匂い」というか、内在する(つまり自分ではコントロール出来ない)好みの傾向が強く出ているように感じられる。(そしてそのことが、作品の密度となり、強度となっている。)デュシャンはクールでメカニカルな運動や質感に、特に機械的な回転運動に強く執着しているのだが、もう一方で、表面を彩色されたりメッキされてり石膏のやわらかい質感や形状にも固執している。大雑把に言って、機械的なものは自らの欲望に近いところにあり、石膏は、欲望の対象に近い位置にあるように思う。(「画家」であった時代のデュシャンにおいては、このような分離はもっと曖昧に混ざり合っていた。デュシャンの絵画において、女性のヌードは機械のように、しかし粘性のある油絵の具によって、描かれる。)
デュシャンにおいては、チョコレートの粉砕器の回転運動が、性的な欲望と強く結びついているのだけど、それはたんに、チョコレートの粉砕器が性的欲望を「象徴している(意味している)」ということではない。そうではなくて、(むしろ逆に)チョコレート粉砕器の回転運動によって、欲望の感触が表現されているのであって、つまりデュシャンにとって、欲望とはまさに粉砕器の機械的回転と同等の感触をもつものだ、ということなのだ。(人は作品を「読む」時、しばしばここを間違うのだ。)そしてとりわけ、その粉砕器がガラスの上に描かれた時に、自らの欲望と同等の感触を持ちうる、ということなのだと思う。そしてその、機械的で冷たい欲望の回転運動の対象は、例えば「照明用ガスと落ちる水があたえられたとせよ(習作)」でみられるように、レリーフ状の平板なふくらみをもち、そして、やわらかなブォルムを持ちつつも冷たい触感の石膏でかたちづくられた女性の裸(しかも「顔」がない)によって形象化される。(そしてさらに、この「裸」の堅く冷たい感触は、そのまわりにビロードが貼られていることでより強調される。)デュシャンにとって、肉体的な生々しさは、平面からほんのすこしだけ浮き上がってくる、柔らかな形態で、しかし、鉱物的な堅く冷たい触感をもつものとしてあらわれるのだ。(このような感触は、「死拷問の静物」「死静物の彫刻」あるいは、「わが頬の中のわが舌」のようなレリーフ状の作品にも強く現れているし、「雌のイチジクの葉」のような、メッキがけされた小さな石膏のオブジェにおいても、その独自の感触は濃厚にあらわれている。)
上記のように、デュシャンは決してコンセプチャルな作家でも、文脈に対するパフォーマティブな行為を示す作家でもなく、むしろ自らの内在的な欲望の固有性に強くこだわり、その密度によって作品を充実させるような作家であるという側面を無視することは出来ない。(決してチェスのケームの比喩では語りきれない。)デュシャンの作品を見ることは、決してそれを「解読」することではなく、その作品に込められた感触を、観者自らの身体を通して(自らの身体という「場」をもちいて)再び浮上させるということであるはずだと思うのだ。