●ぼくが住んでいるのは、駅から南側へ、小高い丘へ向かってゆるやかな坂道を昇ってゆく途中にあって、住んでいるアパートを過ぎたくらいから、坂の傾斜は急にきつくなって丘の頂上へとせり上がるようにつづいてゆく。部屋から駅へ向かって坂を降りている途中に、家と家との隙間から、丘の頂上へとつづく急な斜面に建物が段々に重なって建っているのが、やや遠くに見える場所がある。雲もなくよく晴れた空の青は、真冬の厳しく澄んだ色ではなく、やわらかくぼやけたような色で、段々に重なっている家々も、光に照らされてくっきりと浮かんでいるのではなく、軽く霞んだように見えている。昨日に比べると急に寒さが緩んだ。
古井由吉『辻』の、最初の二編だけ読んだ。古井氏が描こうとしているのは、ある種の「強張り」のようなものなのだろうかと思った。一見、「ほどけた」ような書き方をしているのは、ほどけた世界(環境)のなかにある(人物の)強張りの堅さ(芯)のようなものを浮上させるためなのではないだろうか。古井氏にとって、人物の固有性とは、その「強張り」のあり様のことだとみえる。そしてその強張りが、妙な具合に歪んでほどけると、そこに「狂気」の気配があらわれる。ほどけること自体が狂気なのではなく、強張りそのものが既に狂気としてあるのだが、それは堅く強張ることによって辛うじて自らを抑え、狂気の発現を抑え込んでいるのだが、何らかのほころびによってほどけかけると、狂気が発現する。そして古井氏の小説が怖いのは、それを読んでいる者をほころばせ、狂気に誘うような「ほどけた」書き方がされているところだろう。ほとんどホラーみたいだ。