●渋谷LOFT9で、「小説家の饒舌 vol.2」(佐々木敦青木淳悟磯崎憲一郎柴崎友香山下澄人保坂和志)。青木さん、磯崎さん、柴崎さん、山下さん、そして保坂さんという組み合わせは、ある意味あまりに「そのまんま」な感じなのだけど、この「そのまんま」の組み合わせは、今回、佐々木さんによっておそらくはじめて実現された。
批評家の第一の役割は、まだ十分に知られていない才能を発見し、その才能を自分の名前を賭けて強く推し出すということにあると思うのだけど、現在、そういうことをやっている批評家はほとんどいない(既にブレイクしたものに対して「上手いことを言う」のが批評家、みたいになっていて、これは、批評家の「名前」の価値が暴落してしまったという原因も大きいと思うけど)。そして、そのような意味での「批評家としての保坂和志」(こういう言い方を保坂さんは嫌うかもしれないけど)が、自分の名を賭けて世に強く推し出した主な作家が、青木さんであり、磯崎さんであり、柴崎さんであり、山下さんなのだと思う。
青木さんと磯崎さんに関しては、デビュー作の選考者だし、山下さんに関しても、デビュー作のアドバイスをしている。そして、柴崎さんに関しては、デビュー後であるけど、初期の柴崎さんの評価に対して大きな影響を与えた、文庫版『きょうのできごと』の解説「ジャームッシュ以降の作家」という文章を書いた。
たとえば、青木さんの才能は青木さんのもので、青木さんの作品が面白いのは青木さん自身の力だけど、その才能に場を与えたのは批評家としての(というか、小説を読む人としての)保坂さんだと言える。実際、会場では、青木さんのデビュー作に新人賞を受賞させることがどれだけ大変だったかという選考会の内情も語られた。だからこの会は実は、批評家の佐々木敦さんによる、批評家としての保坂さんへのリスペクトを表す会でもあるのではないかと思った。
(以上のことは、実際に現場で語られたこととは関係のない「背景」にすぎないのだけど。)
磯崎さんが何度も「保坂さんが地ならしをした」と言っていたけど、この「地ならし」というのは、さらに保坂さんに見出された作家たちのそれぞれの実作を通してなされているとも言えるので、保坂さんが地ならしをした上に出てきた作家がした地ならしの上に、また次の作家がでてくるということで、作品をつくる人が信じるべきなのは、(社会に直接影響を与えるということではなく)社会がどのような状態であっても、このような地ならしが、か細い流れであるとしても次に続いていくということなのだと思った。
●別の話。磯崎さんが、歳を取ると三人称が恥ずかしくなる、一人称じゃないと書けなくなる、ということを言っていて(おそらくこれは、他の作家にはあまり賛同を得られていない感じだったけど)、一方、保坂さんは、自分には興味がないけど、自分が年老いてゆくことには興味がある、と言って、吉田拓郎ボブ・ディランの違いみたいな話をした。ここで、磯崎さんと保坂さんの、作家としての資質の違いみたいなのがちらっとみえた感じがした。
保坂さんが「歳を取る」という時にイメージしているのはやはり小島信夫的な感じだと思われ、それに対して、磯崎さんはちょっと違って、(実際に名前を口にしてもいたけど)古井由吉的な感じをイメージしているのではいかと感じた。保坂さんが小島信夫を積極的にお手本としているのに対し、磯崎さんは、お手本というより、自分と近い感じを古井由吉から感じた、というくらいのことだと思うけど。磯崎さんの、切実なことしか書いてはいけないのではないか、それは一人称でしか書けないのではないか、という発言は、そこだけ取り出すとよく分からないのだけど、磯崎さんが感じている「老い」が古井由吉的なイメージなのだと考えると、今までの磯崎さんの小説からも、そっちの方向に行くのは感覚的に腑に落ちる感じはある。磯崎さんにはどこかアスリート的な禁欲感、あるいは謎の使命感があって、そういう人が老いるという時、小島信夫的な方にはいかないのかなあ、という感じ。体も頭も衰えていく時に、強いオブセッション(古井由吉における、空襲や戦中の飢餓感のようなもの)によって何かが支えられる、という感じが磯崎さんにはあるのではないか、と。それは、わたしの表現ではなく、わたしの元で起こっている(わたしの元に繰り返し戻ってくる)何か、ということではないか。
●山下さんが、ブルース・リー高倉健の名前を出して、「ほとんど同じだけどそれぞれちがう」と言っていたことと、磯崎さんの言う「切実なこと」とが、どの程度重なるのかは分からないけど、磯崎さんは、『しんせかい』を読んで自分が19歳の時のことを思い出したと言っていたから、『しんせかい』には磯崎さんの「切実なこと」と重なる何かがあるのだろうと思った。
●保坂さんが柴崎さんについて、「小説家で一番苦しいのはデビューしてから最初の新人賞をもらえるまでの期間で、その時期は迷いや不安もあっていろいろぶれてしまいがちだけど、柴崎さんはその時期にまったく日和っていないところがすごい(大意)」という話をしていて、「編集者の顔色をうかがうのではなく、もっと高いところをみていないといけない」という話になった時に、青木さんが、「それって社長とかってことですか」というすばらしい天然ボケを。
(一見、コンセプチュアルな小説を書く青木さんが、五人の作家のなかで最も天然なのだと思った。)