●「文學界」の磯崎さんと保坂さんの対談がすごく面白いのだが、そこで磯崎さんは、保坂さんの小説を読みはじめたのが《三十歳か、三十一歳》と言っていて、今、磯崎さんが四十四歳だからそれは十三、四年前で、九十五、六年ということになる。ぼくが保坂さんの小説をはじめて読んだのもちょうどその頃なので、「ああ、同じ頃だったんだ」と思った。
以前、磯崎さんから、「十代はロック、二十代はボート、そして、三十代で保坂和志と出会う」という話を聞いたことはあったのだが、その「出会い」が具体的に「いつ」なのかは知らなかった。保坂さんの小説を読むことで、(いくつか習作的なものはあるとしても)何かが開かれていきなり書けるようになっちゃった人なのだろうと、なんとなく思っていたのだが、最初に『この人の閾』を読んでから、『肝心の子供』が書かれるまで、十年以上の時間がかかっているのだと、はじめて知った(実際に「書きはじめる」のは、九十五、六年よりももっと後なのだとしても、三十代の十年をまるまるかけて、それを「準備」していたのか、と)。
●以下、対談の磯崎発言の引用。
《「磯崎憲一郎」とやるとブログ検索とかでブワッと出てくる。僕より二十歳も若い子が小説を読んでくれて、「磯崎サイコー」とか、「一生読みつづける」とか言うんですね。どうせ一生読みつづけないだろうとか思う気持ちもある一方で、僕がかつて保坂さんに招き入れられた芸術の世界に、彼らを招き入れたという意味で、僕はやっぱり彼らの人生を背負ってしまったんだなというのは、自惚れとまったく逆の、もっと重々しい意味で感じるんですよね。そういう世界を知って何人かが小説書くのかもしれないけれど、まずは読めばいいんで。それこそカフカにしろ、ガルシア=マルケスボルヘスにしろ、ロベルト・ムージルでも誰でもいいんですけど、そういうのを読んでいってくれて、面白いと思うような人間を、そういう芸術の世界に招き入れてしまったんですよね。その責任は俺にある、だからちゃんと書いていかなきゃいけないということを最近感じます。》
ちょっと前に磯崎さんにお会いした時に、「読者の人生を背負ってしまった」という感覚をもっているという話は、実際にその口から聞いたのだけど、その時には、それによって磯崎さんが何を言いたいのかいまひとつよく分からなかったのだが、こういう風に言われれば、なるほど、そういうことだったのか、と思う。