●お知らせ。明日(7日)発売の「新潮」九月号に、「お告げと報告、楽観と諦観−−磯崎憲一郎論」が掲載されます。磯崎さんの芥川賞受賞に便乗したものだと思われるかもしれませんが、確かに賞によって締め切りが急遽前倒しにはなったものの(だから3日で書きましたが)、もともと「新潮」に『終の住処』が掲載された時に読んですぐ磯崎論を書きたいと思って、賞の候補に挙がるより前から準備していたもので、受賞したから書いた、というわけではありません。
書き出しは次の通り。《人は、ある日突然小説家になる。これは驚くべきことではないだろうか。あるいは、あまりにも理不尽で暴力的なことだと言えないだろうか》。
●高台へとゆるく昇ってゆく坂道、歩道の脇にイチョウの並木がつづき、車道の真ん中にはケヤキの並木がつづく道を歩いていてふと思ったのだが、セミの鳴き声が、ケヤキの並木の方からは激しく聞こえてくるのに、イチョウの並木の方からはほとんど聞こえてこない。というか、イチョウの木以外の木という木からセミの声が聞こえるのに、イチョウの木からだけ聞こえてこない。甲州街道(国道二十号線)は、八王子から高尾にかけてとても立派なイチョウ並木がずっとつづいていて、そこを、八王子から西八王子まで歩いている時にも、イチョウの木からはセミの声が聞こえず、たまに、あっ、セミだ、と思うと、道路に面した家の庭木の方から聞こえてくるのだった。セミはイチョウの木が苦手なのだろうか、と思いながら歩いていた。すると、ある一本のイチョウの木から、ものすごい勢いでセミの声が降ってきたのだった。あれっ、別にイチョウが苦手というわけでもないのか、と、仮説はあっさりと覆された。そうなると、今までの、イチョウの木からはセミの声が聞こえてなかったという認識そのものが、急速に自信のないものとなってゆく。というか、ぼくはこのイチョウ並木の下をもう二十年以上歩いているというのに、去年はどうだったのか、一昨年は…、と思い出そうとしても、セミの声のイメージとイチョウの並木のイメージとの関係づけがあやふやで、まったく思い出せないということに愕然となる。自分と世界との接点というか、接触のあり様そのものが極めてあやしく思われ、不安になるのだった。
こういう時、人は、「セミの声って、イチョウの木からも聞こえてたっけ?」と誰かに尋ねたり、イチョウとセミの関係について調べたりといった、(自分の視聴覚とは別のルートの)外的な情報を参照することによってその不安から逃れる。それは多分、知らなかったことを知るということだけでなく、自分の視聴覚、自分の記憶のあやふやさの補強として作用するとすれば、その参照される外的な情報へのルートもまた、私の視聴覚や私の記憶と直接繋がっていて、その一部とさえ言えるのかもしれない。例えば、ぼくが「セミの声ってイチョウの木からも聞こえてたっけ?」と尋ねるある特定の人物の特定の経験(視聴覚や記憶)が、ぼくの視聴覚や記憶を補強し、ぼくの視聴覚や記憶の一部となる。そこで伝達され、やり取りされるのは、事の真偽であるよりも、それぞれの人物におけるそれぞれの経験の質なのだと思われる。尋ねた相手の、セミ(およびイチョウ)に関する経験、セミ(およびイチョウ)への注意の向け方、セミ(およびイチョウ)への興味や関心のあり様、等が、ぼくの世界への接触や認識の不安の補強として作用する時、ぼくはほんの少しだけ、(エピソードとして知る、というのとは違った質で)他人の経験を経験することが出来るのではないだろうか。