●お知らせ。「文學界」の11月号に、山下澄人『壁抜けの谷』の書評(「わたし」と「あなた」と「ここ」と「そこ」)が掲載されています。
(それにしても「文學界」の映画への傾倒が本格的なことに驚く。黒沢清のインタビューが載っているのは、まあ、特に驚かないけど、荒木一郎や白鳥あかねが登場していることに驚く。レアな映画雑誌でも、白鳥あかねが登場する機会はそんなにないのではないか。)
講談社に、伊藤亮太、保坂和志対談を聞きに行った。これは、十月の終わりくらいに出る保坂さんの短編集『地鳴き、小鳥みたいな』に関連したイベントなのだけど、猫の調子が不安定で、書店などで公式のイベントを計画しても保坂さんがドタキャンする可能性があるので、今回は一般の募集はせず、講談社で身内プラスαくらいの小さいイベントとして対談をして、それを収録した映像を配信することでイベントに代える、ということらしいです。
(対談相手の伊藤さんは、早稲田の仏文でブランショを専門としている博士課程の院生で、早稲田で「保坂和志の会」というのをたちあげた人だそうです。)
講談社に向かう電車のなかで「キース・リチャーズはすごい」(「新潮」五月号)を読み返した。この小説は最初に読んだ時にいまひとつピンとこなかったので、対談の前に読み直そうと思ったのだった。最初に読んだ時よりは腑に落ちる感じがあった。
この小説は《キースのことを書きたい》とはじまるのだけど、話はすぐにデレク・ベイリーに移り、デレク・ベイリーをかけていると猫の調子が悪くなるという話になり、猫からサザン・オールスターズの話になり、戻ってこなくなった外猫の話になり、チェーホフセリーヌにある情感とロックの間の共通性、それとデレク・ベイリーセシル・テイラーを聴いている時の高揚感の違いの話になり、そのどちらとも違うものとしてボブ・ディランが出てきて……、と、キースと言っておいてキースはどっかへいってしまうパターンなのかと思っていると、最後にキースに戻ってきて、この小説全体が「キースがどのようにすごいのか」あるいは、「キースをすごいと思った時に、自分に起こったことの---思考の---内実はこうなのだ」ということを書いていたということがわかる。
《私》は、六十歳に近づいてはじめて感じる歳をとることにまつわる重さを、十代の頃にロックを聴いていた自分が支えてくれているという感じをもち、《急にサザンや十代の頃聴いていたロックを聴きたくなった、ロックが好きで好かった!》と感じる。しかし同時にそれを《私は肯定しきれない》とも書かれる。
《サザンの歌もチェーホフセリーヌも自分の経験と重ならないとしても気持ちに波を起こす、(…)人の中には叶えられなかった愛を回想する言葉に反応する何かがもともとあって、適切な情景につづいてその思いが語られたり適切なメロディや抑揚にのせて思いがうたわれたりするとそれが反応して波が起こる。しかしそれは違うのだ。そうではないのだ。デレク・ベイリーはそう言っている、もちろん演奏がだ。》
ベケットでさえ《叙情まみれ糞まみれ》であるのに、デレク・ベイリーはそうではない。
《(…)デレク・ベイリーは一日中ただギターを弾くというのはただ弾くことだ、いいとか悪いとかそこにはない、そんなことは当然としてデレク・ベイリーはただただ弾くそこに作品になるフレーム、枠がない、私はそういう風に書いていたかったができなかった。》
これは現在の保坂さんの立場と重なると思うのだけど、でも、それだけでは収まりのつかないことがどうしてもある。たとえば、猫の変調のことを考えると、デレク・ベイリーやミルフォード・グレイブスを聴くような体勢にはなれなくなってしまう。
《日々接している猫たちに変調があると私はやはりどうしてもその先にある猫がいない生活を思う、その気持ちを慰めるために、その気持ちは慰めを必要としているために私はサザン・オールスターズを聴こうとしたりローリング・ストーンズを聴こうとしたりレッド・ツェッペリンも聴いた》
《「あなたがいなくて寂しい」という気持ちはあなたが戻ることで解消されるがミルフォード・グレイブスを鳴らしっぱなしにできない自分の状態はミルフォード・グレイブスを鳴らすことではどうにもならないというのは、こう書くと複雑だが書かずに考えればあまり前のことだ、そして猫のトラブル期間私はかろうじてボブ・ディランを聴いていた》
ミルフォード・グレイブスを鳴らしっぱなしにできない自分の状況に対して、ミルフォード・グレイブスは効かない、という、ある意味自己批判ともとれるとても重要なことが言われている。それでもサザンでは《それは違うのだ》という時に、かろうじて聴けたボブ・ディランについては次のように書かれる。
《(…)そのディランの曲の作り方は土地や風土やそこに吹く風、そこで聞こえる鼻歌に身を任せるような作り方になったと私には感じられる、(…)デビュー三十年も経過するとだいたいみんな新譜がなかなかでなくなるがディランはそうならなかったそれが体力もイマジネーションも年相応にして空間と時間に身を委ねることだったというそこが五十を過ぎた私に響き合う。》
しかし、キース・リチャーズのソロアルバムは、風土や空間と一体化してゆくようなディランとは違っている。
《(…)キースはディランと全然違うやり方で今の音を作った、今というのは二〇一五年であることとキースが七十歳を過ぎていることの両方だ、ついでに言えば自分を聴く人が五十過ぎということもアタマにあるかもしれない、しかもブルースや土着に寄りすぎるわけでもなくロックでありつづけている、昔の自分の曲を置き去りにせずあらためて息を吹き込んだ》。
二〇一五年の「今」に、七十過ぎのミュージシャンが、かつてローリング・ストーンズを聴いていた五十過ぎの聴衆に向けてつくったという意味で「今のロック」であるようなものを、キースはつくったのだ、と。これは、ノスタルジックな(若い頃を懐かしむ)ナツメロでもなく、最新の音楽の動向を取り入れたという意味の「今」でもない、ローリング・ストーンズのメンバーであるミュージシャンが時間の流れのなかで七十歳を越えた「今」だからこそ出来たという意味で「今の音楽」なのだ、と。そしてその「今の音楽」は、すでに遠く置き忘れていたストーンズの過去のアルバムを「今、聴けるもの」へと蘇らせた。
《(…)だから私は『レット・イット・ブリード』が今でも新しいとは思わないが『レット・イット・ブリード』は古びてない、思いっきり聴きごたえがある、私はまだこれから『レッド・イット・ブリード』を何十回と聴ける》。
対談でも保坂さんが発言していたけど、過去の自分の経験が現在の自分を刺激したり、支えたりするだけでなく、現在の自分が、過去の自分を刺激したり支えたりする、この双方向性を実現しているという意味で、「キース・リチャーズはすごい」ということになる。
(追記。ぼくはロックのことは何も知らない。ローリング・ストーンズはさすがに知っているし、聴いたこともあるけど、たんに知識として「知っている」に過ぎない。対して、フリーインプロビゼーションはけっこう聴いた。デレク・ベイリーセシル・テイラーもスティーブ・レイシ―もミルフォード・グレイブスも、CDを持っているし、以前は---14、5年くらい前か---聴いていた。その界隈に詳しいわけでは全然なくて、なんとなく勘で選んで趣味的に聴いていただけだけど。)