●イタリアへ行った時の飛行機のなか以来で『モロイ』を読んでいる。面白すぎる。ツッコミをいれずには読み進むことの出来ない、偉大なボケ小説。これからボケます、という合図もなしに、観客の笑いを待つこともなく、突っ走り、真面目な顔をして一人で延々ボケつづけているのだ。丁寧に読めば読むほど面白く、同じところを何度も読んで何度も笑ってしまったりするので、なかなか先に進まないのだが。『桜金造の本当にあった怖い話』(DVD)を観る。短い話が47個収録されているのだが、一個も面白くない。面白くないだけでなく、かなり「嫌な話」が混じっている。なんでこんなことになってしまうのか。怪談は、ちょっと気を緩めると、すぐに「嫌な話」になってしまう。
●以下、『モロイ』(安堂信也・訳)から、ちょっとだけ引用。いったい、《私》は《彼》に追いついて、実際に話をしたのか、それとも、話をしているところを想像しているだけなのか。だが、ベケットにおいて、この二つのことに違いはないのだった。
《煙の出るものを片手に頭を胸の上に、彼は姿を消した。説明しておくが、私は消え去ろうとしている事物からは、そのずっと前に目をそむけてしまう。最後の瞬間までそれをじっと見つめること、いや、それは私にはできない。彼が消えたと言ったのも、そういう意味でだ。目はそらして、私は彼のことを思っていた。心のなかで言った。彼は小さくなる、小さくなる。私は自分がわかっていた。いくら足が不自由でも、彼に追いつけるということは知っていた。ただその気になりさえすればよかった。だが、そうしなかった。その気にならなかったからだ。立ち上がって、道へ出て、杖をたよりに彼のあとを追い、声をかける、こんな簡単なことはない。彼は私の叫びを聞きつけ、振り返って、私を待つ。私は彼のすぐそば、犬のすぐそばで、松葉杖にはさまれて息を切らす。彼は私をちょっとこわがり、ちょっとあわれむ。私は彼にかなり嫌悪感を与える。私は見た目がよくはないし、匂いもよくない。なにか用かって? ああ、知っている、恐れとあわれみと嫌悪を含んだその口調は。私は犬を、人をもっと近くから見たかったのだ。なにを吸っているのかを知り、靴を調べ、そのほかいろいろなしるしを見分けたかったのだ。彼は親切で、あれこれ私に話す、いろいろなことを教えてくれる、どこから来たか、どこへ行くかなど。私はそれを信じる。わかっている、それが私のたった一つ幸運な---たった一つの機会だ。人の言うことをみんな信じる。長い生涯の間に、それをさんざん拒否してきたのだから、今では、すべてを、貪欲にうのみにする。私が必要とするのは物語だ。それがわかるのに長い時間がかかった。それに、今でも確信があるわけではない。それでつまり、いくらかのことについてははっきりわかっている。彼についていくらかのことは知っている。知らなかったこと、気になっていたこと、少しも苦にしなかったことまで。なんという言い方だ。私はきっと彼の職業がなにかまで学んだろう。なにしろ私は職業には非常に興味を持っているのだから。これでも私は自分のことをできるだけ話さないようにしているんだが。もうすぐ雌牛たちのこと、空のことを話すから、しばらくのごしんぼう。さてそこで、彼は私と別れる。忙しいから。忙しい様子はしていなかった、ぶらついていた、もう述べたように、だが私と三分間話したらもう忙しくなった、急いで行かなければならない。私は彼を信じる。そして私はふたたび、いや一人とは言わない、柄じゃあないから、なんと言ったらいいか、(……)》