ジョルジュ・アガンベン『開かれ』

●ジョルジュ・アガンベン『開かれ』。難しい本や、なかなかその中に入っていけない本は、はじめから順番に読むのではなく、パラパラと眺めて、面白そうな、入り込めそうな部分だけをいくつか拾い読みして、そこから徐々に、前や後ろに浸食してゆくようにして、少しずつ穴を埋めてゆくように読み進めるので、最初の部分と最後の部分はまだまったく手つかずで読んでないし、間に多少の穴もあるのだけど、ユクスキュルのダニの話を端緒にして、ハイデガーが(人間は世界をもつが、動物の世界は貧しい、として)区別する、動物の「放心」と人間の「深き倦怠」との間に、実は通底するものがあるのではないか、ということを読み込んでゆく展開(第10章から第16章あたり)は、凄く面白かった。
ここで、アガンベンの思考を刺激し、話の展開の緊張を支えているのは、おそらく、ユクスキュルの本に記述されている、「ただ生きつづけたダニ」のエピソードだと思う。それは次のような話だ。ダニは、世界とたった三つの関係(関わり方)しか持てない。一つは、ほ乳類の汗に含まれている酢酸の匂いを感じること(それによってほ乳類=餌を見分け、それに取り付く)、一つは、取り付いたほ乳類の血液の温度と同じ37度くらいの温度を感じること、そしてもう一つは、血を吸うのに適当な場所をみつけるために体毛を触感で感じ、それをかきわけて体毛の少ないところに移動すること、そしてそれらの条件がそろったところで、その血を吸う。ダニには視覚もなければ味覚もない。(ダニはただ、匂いのみで血を吸う対象を判断し、37度くらいの液体ならなんでも吸い込む。)そしてダニは一度血を吸うと、あとは産卵するだけで死んでしまう。このような世界との関係について、アガンベンは次のように書く。《しかし、ダニはこれら三つの要素と、強い熱烈な関係でじかに結びついている。人間の世界が外見上はどんなに豊かに見えようとも、その世界と人間とを結びつけている関係は、おそらくこれほどまで強烈な関係ではあり得ないだろう。ダニとは、この関係そのものである。そしてダニが生きるのは、この関係のなかでしかなく、この関係を介してでしかない。》
しかし、ユクスキュルの本は、ある実験を我々に示す。それは、これら三つの関係を全てを断たれた状態で(つまり、環境=外界との関係全てを奪われた状態で)、18年もの間生き続けたダニがいたという事実だ。《ロストックの実験室で、十八年ものあいだ、餌もないのに、つまり、環境から完全に隔絶された状態で、一匹のダニが、生きたまま飼われていた、というのだ。この特異な事実について、ユクスキュルは、一切説明を施していない。ただ、その「待っている期間」、ダニは「われわれが毎晩体験しているのと似た一種の睡眠」状態にあったのだろうと推測したにすぎない。(略)十八年ものあいだつづいたこの宙づり状態に置かれたダニとその世界に、いったい何が起きていたのか。環境との関係の内部にどっぷりつかっていた生物が、その環境が絶対的に欠如した状態で、いかにして生き延びるなどということが可能だったのか。そして、時間もなく世界もなく「待つ」ということは、いったいどういう意味なのか。》
ハイデガーによれば、動物は、環境と唯一の熱烈な関係(いかなる人間的認識よりも強烈で魅惑的な放心状態=抑止解除)をもつのだが、ただ、徹底してその「内部」にいるのみなので、そこで世界の「開かれ」を得ることはできない。対して、人間は、「深い倦怠」という状態によって、環境と切り離されて疎遠になり、あらゆる行動の可能性から切り離される(不能となる)ことができ、そのような場所=状態で、どのような具体的な可能性とも異なる別の可能性、可能なものを可能ならしめている可能性そのもの=潜在性(つまり世界の「開かれ」)を捉えることが出来る、ということになる。(次のような言い方は、あまりにハイデガー的なので思わず笑ってしまう。《しかし、可能性そのものに関わるものは、可能性を可能ならしめるものであり、可能性一般を可能にするものとしてその可能性に譲り渡すものである。この最初にして最後のもの、現存在の可能性全体を可能性として可能にするもの、現存在の存在可能性をもたらすこの何か、その可能性こそが、可能性において拒まれている存在者においての問題なのである。》)
しかしアガンベンは、ダニでさえ(人間による人工的な介入によってではあれ)上述したような実験によって、環境から切り離され、「深い倦怠」の状態を得られるのではないか、だが、そこで起こっていることは一体どのような事態なのか、と想像しているのだ。
《もしハイデガーがそれを知っていたとするなら、おそらく彼は、ロストックの実験室において抑止解除するものが一切切断されたなかでダニが生き延びた十八年もの歳月について、自問していたことだろう。実際に動物は、環境との直接的な関係を---人間が実験室のような特殊な状況のなかに課すことで---宙づりにすることができるのであり、だからといって動物であることをやめたわけでも、人間になったわけでもない。たぶんロストックの実験室のダニは、「たんに生きているだけ」という謎が秘められているのであり、ユクスキュルもハイデガーもこの謎に取り組むだけの準備がまだできていなかったのである。》