竹橋の国立近代美術館で須田国太郎・展

●竹橋の国立近代美術館でやっている須田国太郎・展を、とても複雑な気持ちで観た。須田国太郎が、とても実直な、良い画家であることは分かる。しかし、「日本の洋画」というマイナーな環境の持つ重力は、学者としてヨーロッパへ留学した経験を持ち、ヴェネチア派の絵画を模写したりもした画家にも、あまりにも強く作用してしまっている。この展覧会に展示されている作品の多くを占める風景画は、そのサイズやスケール感、題材の選択、画面の構成の仕方、くすんだ色彩の趣味、絵の具のもたつき加減、などが、(いかにマチエールが独自であろうと)あまりに「日本の洋画」臭くて、観ていてどんどん憂鬱になってくる。おそらく今でも、団体展などに出掛けると、この手の趣味の(勿論もっとチャラい)絵が沢山掛けられているのを目にするのではないか。実際、このようなスタイルがどこから生まれたのかは謎で、ヨーロッパでも中国でもないし、日本の古典からでもないだろう。独自と言えば全く独自で、しかし、全然良くはない、くすんだスタイルというか趣味(価値体系)が、特殊に成立してしまっている(閉ざされた)領域が「日本の洋画」という場所で、画家はそこで生きなければならなかったのだろう。このような作品群は、明るい色はギラついていて、中間色はもたついているのだが、暗い色調の部分だけはさすがにしっかりと絵の具がつき、深く落ち着いた、魅力的な絵肌をつくりだしてはいる。しかし、その魅力的な暗いトーンの部分を殺してしまうような、もたついた中間のトーンが支配的なのだ。(特に戦前の風景画において。)戦後になると、中間のトーンのもたつきが多少なくなって、そのかわりにポイントのように鮮やかな色彩を加えることで、作品が全体的にぐっと冴えた感じにはなるのだが、しかしそれはあくまで技術的な向上に過ぎなくて、おそらく須田国太郎の資質として最も魅力的な部分であろう、暗いトーンの輝きを画面のなかで充分に生かすという方向には向かっていない。(つまり、自分が本当にやりたいこと、画家としての自らの資質が向かうべきこと、の方向へは向かっていない。)
風景や人物を描いた作品が、(一部良いものはあるが)おおむね冴えないのに対して、動物や植物を描いた作品(主に小品)は、がぜん生き生きしているように見えた。思うに、大作では、そのサイズ、画題、構成ともに、「日本の洋画」的な着地点にあまりに強く引っ張られてしまっている(事前にある共同的な「価値観」という余計なフィルターが1枚かかってしまっている)のに対し、小品は全体としてもっと自由で、直接的で、つまり「描く」ことに対しもっとずっと誠実であるように思える。動物では主に、豹や猫といったネコ科の動物、そして、カラスや鷲のような鳥類が描かれるのだが、これらの動物の「動き」というよりも、動き出す一瞬手前にある、動きへと待機している時の、動きの予感というか、気配のようなものが、静けさとともに、静けさのなかに漲っているような状態として、捉えられていて、決して凄く上手いというような絵ではないのだが、とても良いのだ。須田国太郎には、明らかに画面の構成力に難があるようにぼくには思えるのだが、動物を描いた作品では、その動きの気配が動物だけではなく画面全体にまで波及していて、画面全体が、動物の動きを待っている気配があり、一瞬後には全てが崩れるかもしれない緊張感のなかでギリギリの均衡があるような、高度な画面になっていると思う。動きが動きのなかにあるのではなく、一瞬の停止した静けさのなかに「動き」(と共に動物の「気配」)が満たされているような感じなのだ。展覧会の最後に、能や狂言の舞台を見ながら描いたスケッチが展示されているのだけど、これがアニメーターの描いた原画みたいな感じでとても上手くて、なんでこの動きを捉える生き生きした感覚が大作の油絵になると消えてしまうのか(おそらくそれが「日本の洋画」という重力なのだろう)、と思うのだが、動物を描いた作品には、それが生かされているようにみえた。(海亀の絵はまた全然違って、こんなに下手でいいのかと思うくらいなのだけど、これもまた、その堂々とした下手さによって「日本の洋画」の重力を振り切っていて、とても良い絵になっているように思える。)
晩年(代表作とされる「犬」が描かれた50年から後くらい)に至って、ようやく徐々に「日本の洋画」の重力から抜け出て、自身の資質に忠実な絵を描き始めることが出来ているように思えた。文化的に貧しい日本という場所では、ここまでくるのに一生かかってしまうのか、とつくづく思う。しかし、本当は「ここから始まる」はずなのに。せめてあと10年くらい生きていたら、もっとユニークな作品をつくることが出来ただろうに、と思う。
●ここまで書いてきてふと思ったのだが、もしかすると、ぼくがずっと「日本の洋画」の重力と言ってきたものは、実は、他ならぬ須田国太郎によってつくられたのではないのか、とも考えられる。日本の近代美術史について詳しくないので、この辺は何とも言えないのだけど。例えば、明治の頃の日本の洋画は、黒田清輝にしても藤島武二にしても萬鉄五郎にしても、ヨーロッパ絵画の模倣でしかないのだが、はっきりと模倣であることの「すっきりした曇りの無さ」があるが(須田国太郎の後、常設展を観てそう思った)、昭和の洋画は、「日本の洋画」という異様な物で、すっきりしないもやもやがあり、そのもやもやこそが重力(権力)として作用してしまうことへの苛立ちがほくにはあり、須田国太郎の作品(特に大作の風景画)からはそのもやもやが濃厚に感じられるのだが、須田がそれと闘ったのか、それとも、それを積極的につくろうとしたのか、どちらなのは、微妙かもしれない。ただ、須田の魅力的な暗いトーンの(もたついた中間のトーンとは相容れない)シャープさや、動物を描く時の鋭敏な感覚などをみると、少なくとも「もやもや」は決して画家の資質の中心にあったわけではないとは思うのだが。