『ポロック その愛と死』

●ツタヤに、BBCが製作した『ポロック その愛と死』という番組のDVDが置いてあったので観てみた。タイトルをみて予想できる通り、この番組を観てもポロックの絵画作品については何も分からず、ただ、アメリカン・ヒーローの一人としてのポロックの栄光と悲惨みたいな分かり易い話で、インタビューを受けているポロックの関係者たちそれぞれの「私にとってのポロック」が語られるばかりだった。複数の関係者の視点から語られることによって、ポロックの人物像が立体的にたち上がってきたりはせず、それぞれの人たちが、自分にとって都合の良いポロック像を、それもまた思い切り紋切り型の物語、ヒーローとしてのポロックの「私だけが知っている裏側」を語るばかりで、丁寧にエピソードを拾うことで、ポロックの意外な一面を浮かび上がらせているわけでもない。だからぼくは、少々イライラしながら画面を追っていた。
しかし、イライラとつつもしばらく見続けているうちに、このドキュメンタリーが描いているのはポロックではなく、ポロックについて語る人たちの方ではないか、と思いはじめた。画家の仲間、妻であったリー・グラズナーと親しかった人、画廊主、伝記作者、映画でポロックを演じたエド・ハリス、そして愛人など(リー・グラズナーへのインタビューがちょっとしかないのは、年齢のせいだろうか)、それぞれの人が語るポロック像、そのサクセスの理由、またはポロックとリー・グラズナーとの関係、などの物語には、物語の主人公たるポロックが不在で、それを語る人たちの欲望や、その人物のあり様をこそ雄弁に物語っているように思える。そう思いはじめると、インタビューを受けているそれぞれの人たちのキャラがたってみえてきて、(美術番組としてはどうかと思うけど)それはそれで面白いのだった。
ポロックが、愛人と乗った車で事故を起こして死んだことは勿論知っていたけど、その時一緒に乗っていた愛人がまだ生きていたということは知らなかった。その、ポロックが死んだ時に一緒に車に乗っていた愛人が、この番組でインタビューを受けている。そしてこの人物が、このドキュメンタリーのなかでもっともキャラがたっている。この番組のインタビューを受けている人の多くは生前のポロックと親しかった人たちで、当然、この愛人に対しては皆批判的だ。ポロックはただ若くて美しい愛人を見せびらかしたかっただけだ、とか、ポロックのまわりには若い女の子の取り巻きがいなかったのであの女に簡単に引っかかった、あの女は確かにセクシーだった、みたいな口ぶりだ。そして、愛人のインタビューをみていると、そんな風に散々に言われるのも仕方がないのかなあ、という人にみえる。ポロックがいかにエネルギュッシュで、まわりの人を惹き付ける魅力をもち、独創的で天才的だったかを語る彼女の口ぶりは、つまりは自分こそがそのような偉大な男と真に愛し合った、それに値する人物なのだ、ということを言いたいようにしか見えない。エド・ハリスポロックを演じた映画について、ポロックの役はマーロン・ブランドにやって欲しかった、私は彼のことも知っているから分かるけど、彼もポロックと同様に天才的なところがある、と語る彼女の薄っぺらな口ぶりは、ポロックマーロン・ブランドといった「偉大な(有名な)男性」(というブランド)を通してしか、自分を支え、自分を誇示することのできない人の典型であるようにもみえる。しかしまた、今や老年を迎えているこの女性が、それでもまだ一貫して薄っぺらなままで、カメラの前に出て堂々と、ポロックの死はロマンチックだった、彼はあのように死んで良かった、というような、人の顰蹙を買うようなことを平然を口にするのを観ていると、この人は懲りることなくずっとこのような人で、一貫してこのような「スタイル」を通してこの年齢まで生きてきたのだろうなあ、と思えて、そして今、画面に映っているポロックの元愛人の姿がまさに長年にわたる「そのようなスタイル」が固着化し形象化された姿であるように見えて、そのことに対してとても感動してしまうのだった。