●君は「桂枝雀」を知っているか!?、というテレビ番組を観た。ぼくは落語のことも桂枝雀のこともよく知らないのだけど、番組を観て思ったのは、桂枝雀の新しさは「顔芸」にあったのではないかという気がした。
これはぼくの貧しい知識からのイメージでしかないのだけど、落語家の「顔」は、その人の人柄や人生が滲み出た「いい顔」であることが多く、そのような顔の説得力が、フィクションとしての語りの説得力の基層、基盤となっている場合が多いような気がする。その人自身の顔がおのずから語るのであり、顔に意識的に語らせる感じではない。番組でインタビューに答えていた落語家の人たち、桂ざこば桂南光桂福團治といった人たちも、そういう意味でとても「いい顔」をしているように思った。でも桂枝雀の顔は違って、もっと人工的で捉えどころない感じで、仮面をかぶって「多彩な顔(表情)」を芸として意識的にコントロールし、駆使するという方向をはっきり打ち出しているように感じられた。意識的なトレーニングによってつくられた、パントマイム的に記号化された顔。そういう人(顔)は落語ではあまり見たことがないように思う(そもそも詳しくないから知らないだけ、ということかもしれないけど)。
インタビューでも、小佐田定雄という作家が、小米から枝雀を襲名する頃に、通好みの芸から多くの人に受け入れられる芸に移行するため「笑顔の練習をし、笑顔の仮面を着けた」というようなことを言っていた。それは最初は、自分の顔は芸人としては地味だとか暗いとかいう自覚からはじまったのかもしれないけど、それによって、人としての素の顔から切り離された、もう一つ別の、もっと幅広く操作できる表現の可塑的な素材としての「顔」という領域を自分の顔のなかに発見したのではないだろうか。それがパフォーマンスの可動域を広げたというか。おそらく、大きくて自由なアクションなども、表現的で人工的な顔の発見を起点として、そこから発展したものなのではないだろうかと感じた。
だから、その芸も、人生や人柄の厚みが芸に活きるというようなタイプのものではなく、意識的なエクササイズと思考と試行(実験)の繰り返しによって変化し、高まって行くようなタイプのものであるように見えた。語り方の不断の更新や、新しいものを受け入れる柔軟さなどもそこから来ているのではないか。でもそれは逆から言えば、人生=芸というような、ある意味とても重要な(シンプルな)根拠を失った(というか、そもそも持たなかった、のかも)ということでもあるのではないか。そしてそれは、自分の身体(人生)を形式主義的な実験の場にする、形式主義的な実験によってそれを組み立てようとする、ということでもあるのではないか。そこに危うい弱点を持ち、その弱点を強く自覚していたのではないかという気がした。
笑いの理論化というのもそのような根拠の無さのあらわれのようにも思えた。例えば、普段からお経を読み、「人間とは…」「魂とは…」「宇宙とは…」みたいな話をいきなりはじめる人(子供に向かってさえそんな話をする人)だったという証言がある一方、笑いの理論の方は、緊張と緩和理論にしろ、笑いのパターンは13種類あって他にはないという類型化にしろ、内容というよりむしろ「効果」や「形式」についての分析で、そこに一つの乖離がある感じがする。形式主義というのはまさに、その乖離によって思考や表現の自由度が上がるということであり、同時に、根拠から切れて行き先を失ってしまう危うさがあるということでもあると思う。桂枝雀に対して興味をもつとすれば、その危うさという点においてだろうと思った。
●息子の証言で、父は基本的に明るい人ではなかったので、楽しんでやっているというより、好奇心によってやっているという感じだったと思います、と言うような話があった。それはおそらく「やってみずにはいられない」という強いられた感じで、形式主義はそこ(何かを強いる好奇心の無根拠な発動)から自分を守る防御というような意味もあったのかもしれないと思った。
●死者について生者が語るというのは不思議だと思った。それは結局、語っている生者にとっての死者の像でしかなく、下手をすると生者が自分自身を語っているだけかもしれない。しかしそれでも、死者によって生者が語らされている、あるいは、死者と生者との関係が語っている、という感じも強くする。そもそも死者がいなかったら、死者との関係がなかったら、生者は、そのような死者像をもつこともなかった。あるいは、死者そのものの像が浮かび上がるというだけでなく、その死者が存在した場所や空気が浮かび上がる感じがした。
桂枝雀がドカーンと来ていた八十年代の中ごろ、ぼくは高校生だったけど、その良さがよく分からなかった。おそらく、人工的な笑顔の不自然さをうまく受け入れられなかったことと、上方の言葉がよく聞き取れなかった(ニュアンスがよくわからなかった)ということだろうと思う。ぼくには松本俊夫の映画『ドグラ・マグラ』の印象しかなかった。