熊谷守一についての取材を受けた。形になるかならないか分からない、ちょっとまずお会いしてお話を、という段階だけど。そこで、七十歳近くなってあらわれたいわゆるクマガイモリカズ様式と、アメリカの戦後美術(要するに抽象表現主義)との同時代性というトンデモ話をしてきた。影響関係ということではなく、まったく異なる文脈から出てきた同時期の二つのものに共通した何かがあるのではないか、という話。どちらも40年代の末くらいの時期にあらわれている。
(共通点としては、色彩というものそのものを空間的な機能として用いるという点が、クマガイと、マティスからカラーフィールドペインティングに繋がる流れとで共通しているということ――それは日本絵画的な平面性とは違うように思う――で、異なる点は、まずサイズの違いで、それは「色彩」から見出しているスケール感が違うのだろうということ、というか、クマガイには色彩は物理的スケールを無化するという感覚――狭い穴から広い空を覗くというような感じ――があったのではないか、そして、クマガイが具象であること、しかし、具象でありながら、「物」を描いているのでもないという感じ――物と空間とは分けられないという感じ――が、おそらく欧米的な「実と虚」の感覚とはかなり異なるのだと思う。この点に関してはアメリカ絵画よりも過激だと思う。
熊谷守一が欧米でイマイチ評価されないのは、向こう側が期待するオリエンタリズムとはかなりずれていて、むしろ向こうにとって「こっちに近い(こういう人はこっちにもいるし…)」と感じられるからではないかと思う。向こうの人にとってはフジタとかの方が東洋的に見えるのだと思う。クマガイには「日本近代」ではない、たんなるモダンと共通する感じがある。でも、それだけじゃないとも思う。というか、別の文脈から何故か出てきた共通性なのだ、と。)
熊谷守一は、青木繁、須田国太郎、坂本繁二郎などとほぼ同世代で、出発点や時代背景的な環境はほぼ同じで、そう考えただけで、そのような、いわゆる「日本近代美術」の文脈のなかにいる世代の、なかでも海外留学の経験もないドメスティック指向の人が、七十歳近くになって突然、あんな(文脈を突き抜けてしまうような)絵を描き出すということのとんでもなさが分かる。ずっと持っていた特異な関心のあり様(死を描くことへの傾倒や、唐突に音波の研究をしはじめて一年くらい計算ばかりしているとかして、絵が描けない時期が繰り返し訪れることなどにあらわれているようなもの)が、長生きしたことで、晩年にようやく形になったということかもしれないけど。
(「陽の死んだ日」から「ヤキバノカエリ」への変化はかなり大きなものだと思う。)
熊谷守一は、晩年の、仙人みたいなお爺さんというイメージが強いけど、若い時の写真を見ると、体がでかくて頑健な感じで、顔つきも彫りが深くてエキゾチックなクドい顔をしていて、荒行をする異貌の山伏みたいなイメージで、体が強くて荒ぶる人だったのではないかと思う。体が強いから長生きし、長生きしたことによって、同世代の他の人には触れ得なかった「現在」(我々から見た現在に近いところ)に触れざるを得なかったということもあるのかもしれない。