『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平)

●『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平)をはじめて読んだ。郊外の高校生活がいきなり「世界の危機」とか「最後の審判」とか「宇宙人」とか「謎の機関」などとつながってしまう(この手の小説にありがちな)突飛な設定を受け入れられるとしたらという条件つきだけど、さすがに、これはすごく良く出来た話だと思う。ぼくの知る限り、ブギーポップは「多重人格」をテーマにしたキャラクターでもっとも魅力的なものだと思う。そしてこの小説の良さは、ブギーポップだけではなく、様々なキャラクターが、それぞれの仕方で話に関わっていて、それぞれが魅力的に生かされているところにある。つまり登場人物が魅力的なのがこの小説の良さなのだ。(たんに話法を複雑にするために沢山の人物の視点から語られるというだけでなく、それぞれの人物が皆魅力的なので、作品としての立体感がでるし、動きがでる。例えば、敵役である早乙女正美のキャラクターに、たんに不可解で不気味な奴としてではなく、それなりに理解出来る説得力のある記述が費やされていたり、話の導入に使われるだけの端役と言っていい竹田啓司が、とてもしっかりとした厚みをもって描かれたりしている。)
ただ、ぼくの好みでいえば、こんなに大げさな話にしたり、こんなにショッキングに大勢人が殺されたりする話にしなくても、この話の「この感じ(この良さ)」は十分に出るのではないかと思えてしまう。例えば第一話は、それだけを独立した短編として読んでも、ちょっと変わった風味の青春小説として、十分に魅力的なお話として成立するのではないだろうか。同様に、第四話もまた、それだけ取り出して、突飛でエキセントリックなとこを言う女の子の出て来るお話として十分に読めるのではないだろうか。(つまり、多くの生徒の失踪と殺人や陰謀との因果関係は、あながち嘘とは言い切れない、という程度の、真偽が不確定な「噂」くらいの設定で充分なのではないだろうか。その方がそれぞれの人物の厚みが際立つのではないだろうか。)恋人のもう一つの人格と、放課後毎日、屋上で話しをする男の子の話とか、突然いなくなってしまった女の子が失踪直前に話した突飛な話を、何年後かに思い出す男の子の話とか、そういう風に切り取るとちょっと文学的になり過ぎるかもしれないけど、比喩的に語りを平板にしてしまう村上春樹とかに比べて、ずっと世界が立体的だし、なにより人物が生き生きしていると思う。同じ学園を舞台にした、こういう話をいくつか並べた連作短編集だったらなあ、と勝手に思ってしまう。(それだと、こんな人気シリーズにはならなかったわけだけど。というか、シリーズがつづいてキャラクターが確立されると、きっとこの良さはなくなってしまうのだろうけど。)