07/11/12

●対談集『映画のこわい話』(黒沢清)。全体としては、特別に面白い本というわけではなかったけど、相米慎二との対談が素晴らしくて感動した。親しいという訳ではないが、まったく知らない仲というのでもないと思われる二人の映画作家(ディレクターズ・カンパニーでの経験が、「相米みたいな作り方はやめよう」と黒沢清に思わせたのではないだろうか)の二人が、相手への遠慮と緊張とを基調にしつつやや距離をとって話をしていて、ときおりその間に、相手の懐深くまでぐっと踏み込んだところでの応酬が、しかし節度を失わず、ごく手短に成立し、走り去る。黒沢清相米慎二という、世代も作風も異なる作家の間に、こういう対話が成立するのだということに感動するし、それを文字という形ででも読めることに感謝したい。
ニンゲン合格』の頃は、まだ相米は生きていたんだなあ、と思う。十何年かぶりで、ビデオで『あ、春』を観直す。すごくいいのだけど、素晴らしく面白いというわけではない。どこが「違う」のだろうかと考える。(相米の映画としては例外的に、年配の女性が三人ともとてもいい。本当は、年上の女性-女優を捉えるのがすごく上手かった人なのではないかと思った。その部分は充分に展開されないままとなったのだが。あと、斉藤由貴が眠っている佐藤浩市の腹をそっと噛むシーンがとてもエロかった。)この「違う」という感覚(「相米の映画そのもの」であったものが、何か「技」でしかないものになってしまっている、という感じ、ジャストミートであったものに、やや芯からのズレが紛れ込んできた感じ)が、中学生の時からリアルタイムでずっと相米を追いかけていたぼくに、『夏の庭』以降の相米を遠いものだと感じさせたのだろうと思う。