●薄暗くなってから、日がとっぷりと暮れるまでの一時間ちょっと、川沿いの道を散歩した。ゆっくりと少しずつ暗くなってゆく川原。八王子に住むようになってもう十九年目になり、その間何度か引っ越ししたけど、その移動はごく狭い範囲で、同じ駅の周辺で、だから、この同じ夕暮れの川沿いの道を何度歩いたかしれない。とは言っても、この川が部屋から駅までの途中あったことは一度もないので、わざわざ「川を見に行こう」と思ってそっちに向かわなければ、この川沿いの道を歩くこともないのだが。前に住んでいたアパートは川から五分とかからない所だった(でも川と駅とは逆方向だった)ので、頻繁に歩いたのだけど、今の部屋は川からちょっと離れてしまった。
川沿いの道は、風景も、そこを歩いたり自転車に乗ったりして通り過ぎる人たちの様子も、風や空気の感触もほとんどずっとかわらないので(季節によって変化はするけど、それは循環するものなので)、時間を消失させるような効果をもつ。二十代のはじめの頃から、もう四十代にかかろうとする現在まで、いろんなことがあったはずだし、いろんな変化もあったはずなのだけど、この川沿いを歩くといつも「同じ気分」が再現されて戻って来るので、時間の経過も変化も消えてしまって、ただ同じ感触の反復だけがあるような感じになる。今住んでいるところは川からちょっと離れているので、実はこの道を歩くのはけっこう久しぶりであるはずなのに、久しぶりだという感じさえない。ぼくは同じところに長く留まりすぎるのかもしれない。それがぼく自身のいろんな意味での停滞の原因でもあるのかもしれない。でもぼくは、どうも停滞を悪いことだとは思っていないふしがあるみたいなのだった。