●お知らせ。今日発売の「風の旅人」24号(http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/index.html)に、「虚構の人物と共に長い時間を過ごすこと」という文章を書いています。
●ドワイヨン『家族生活』をビデオで。これは初めて観た。ドワイヨンは、狭くてキツいところに「追い込んでゆく」ような映画よりむしろ、緩めで遊戯性の高い映画の方が面白く感じられる。この映画は、一体何がやりたかったのかと首をかしげるくらいに、いろいろ好き放題にやってる感じで、ほとんど「運動神経」だけで映画を成り立たせている感じで、それでもドワイヨンなので、どこか神経がキリキリと張りつめた感じが持続してもいて、面白い。でも、途中これだけ好き勝手にやってるにも関わらず、最後の方にいきなりシリアスになるのには戸惑った。でも、最後にシリアスになるからといって、それまでの過程の全てがシリアスなところに収斂されるというわけでもないのが良い。『ラ・ピラート』でもそうなのだけど、ドワイヨンの映画に出て来る「少女」という形象は一体何なのだろうか。一種の「謎」の存在なのだけど、いわゆるロリータ趣味みたいのとは全く無縁な感じだし、小悪魔とかファム・ファタルというのとも違う。ここまで書いていて思いついたのだけど、この映画はもしかしたら『都会のアリス』を意識しているのかもしれない。ドワイヨンはヴェンダースと同世代だそうだし、『恋する女』にも「アメリカの友人」という台詞が出てきたりしていた。けっこう、ヴェンダースは意識していたのかも。(ここまで書いてから、古い「リュミエール」を引っ張り出してきてドワイヨンのインタビューを読んでいたら、自分は低予算で映画をつくる方が好きだと言った後に、次のようにも言っているのだった。《たとえば、製作費を多く使えるようになった最近のヴェンダースより、低額予算時代の彼の方に遥かに強く惹きつけられる。『パリ・テキサス』の審美主義より、『都会のアリス』のみずみずしさの方が好きなのです。》偶然にも、このインタビューは、『家族生活』が撮られた直後にされたものみたいだ。)
●今日の散歩(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/sanpo070201.html)