『トップをねらえ!』(VOL.1〜3)をDVDで

●『トップをねらえ!』(VOL.1〜3)をDVDで。以前、『トップをねらえ2!』の方を先に観て、あまり面白いとは思えなかったので、今まで観てなかった。1、2話(VOL.1)、3、4話(VOL.2)、5、6話(VOL.3)と、どんどん作品が別物になってゆく。作品としての整合性ということからみれば、これは破綻しているということなのだろうが(物語の次元ではちゃんと繋がっている)、ここには、作家「庵野秀明」の誕生の瞬間が刻まれている。作品としてどうこうというよりも、それが凄い。
1、2話では、『エースをねらえ!』のつまらないパロディにロボットものや美少女ものの要素を付け加えただけの、本当に下らない作品なのだが、3、4話になると、企画ものの枠をこえて庵野秀明の作家性が徐々に前面にでてきて、『エヴァ』の原型みたいな感じになってくる。逆に言えば、『エヴァ』という作品のなかにも、庵野秀明が『トップをねらえ!』という作品によって「作家」となった、という刻印がしっかりと刻まれている。それは、たんに『トップをねらえ!』という作品によってデビューしたということではなくて、この作品をつくることをつうじて作家として目覚めた(作家として生成した)、ということだと思う。(だからそれは、作家、庵野秀明には、企画の単純な図式性なども含めて、『トップをねらえ!』という作品の諸要素が組み込まれ、書き込まれてしまっている、ということでもある。)作品をつくりつつ、自らの資質に目覚めてゆく過程が、この3、4話にははっきりとあらわれていて、作品の内容や質そのものだけをみれば、はじめにあった企画と、徐々に目覚めた作家性とが折衷されていて、中途半端な印象は否定出来ないのだが、それを超えて「作家の誕生の瞬間」という強さがあるように思う。
で、ここまでで一応、物語としては完結していると思うのだけど、話としては付け足しのように(というか、全然別もののように)5、6話がある。3、4話と5、6話との間には明確に断層があり、5、6話になると、演出だけでなく、絵柄やデザインや技術的なことまでふくめて大きく様変わりしている。5、6話になると、(戦闘シーンを、音楽に頼った抽象的な処理で誤摩化すような)悪い癖まで含めて、完全に庵野秀明作品になっている。よく高校野球などで、試合をする度に強くなってゆくチーム、みたいな表現がされることがあるけど、ここで観られるのもそのようなことで、1話つくられるその度ごとに飛躍があり、明確に作家性がかたちづくられてゆく過程があるのだ。(そしてそのような飛躍にスタッフがちゃんとついていっているのも凄い。)
●物語上で面白いのは、地球と宇宙船に乗っている人たちとでは時間の流れ方が違うという点をうまく利用しているところだと思う。それも、ただ地球と宇宙というだけでなく、宇宙の側でも、乗っている宇宙船の速度などによってそれぞれ時間の流れ方がバラバラで、つまり登場人物ごとにそれぞれ違った時間が流れている。(これが科学的にどの程度ちゃんとしているのかは分らないけど。)主人公からみればほんの半年か一年くらいの話なのだが、地球では一万何千年も経ってしまっている。登場人物ごとにそれぞれ時間の流れる早さが違うというズレによって、人物たちの間に生まれる様々な「感情」の表現こそが、物語としての『トップをねらえ!』の最も魅力的な点だと思われる。(このような要素が『エヴァ』にもあれば、作品としてもっと幅の広いものになったのではないかとも思った。)ただ、この点も、作品のはじめの方がつくられている段階ではそれほど強く意識はされていなかったのではないかと思われる。作品がつくられる過程のなかで、徐々にこの要素が膨らんできたのではないだろうか。