2021-03-22

●2002年の2月か3月のこと。深夜のトーク番組(ホストは薬丸裕英)にゲストとして安野モヨコが出ていた。安野モヨコは、「今までつき合ってきた男はみんな普通の男ばかりだった。普通の男とは、夏は海、冬はスキー、趣味は車、みたいな男のこと(こういう男が「普通」だったのはもはや過去のことだが)。しかし、今つき合っている男はオタクで、オタクと付き合うのははじめてなのでいろいろ戸惑っている」というような話をしていた。

二十年近く前のなんとなく眺めていただけの深夜のトーク番組のことを今でもはっきり覚えているのは、もちろん、この放送からたいして間もないうちに、安野モヨコ庵野秀明が結婚したというニュースが出たからだ。オタクとつき合っているって、オタクにもほどがあるだろう、と驚いたのだった。

(「プロフェッショナル 仕事の流儀」を観た。「シン・エヴァ」はまだ観てない。)

庵野秀明の「私小説」には興味がないし、作品としての「エヴァ」は、旧劇場版でちゃんと終わっていると思っている。新劇場版は、姿は似ていても魂は別物で、旧エヴァとは別の作品だと考えている。ただ、とてつもない表現力をもった人が、作品の面でも責任者であり、制作体制(お金)の面でも責任者であるから、とことん好き勝手にやれる、という環境で、どれだけすごいものをつくるのかという点で興味がある。

(宮崎駿でさえ、高畑勲鈴木敏夫との関係の中で作品をつくっていたはずだから、まったく好き勝手にやれるわけではなかっただろう。新劇場版で庵野秀明はあらゆる面で自分が責任者だから、どこまでも自分の裁量で決められ、果てしなく自由で制約がなく、よって、果てしなくどこまでも悩むことになるのだろう。『シン・ゴジラ』はいわば雇われ仕事であり、自由に出来る範囲がはじめから狭く、その分、悩むことの範囲も狭かっただろう。制約がないからこそどこまでも悩みつづける庵野秀明において、唯一の制約が「締め切り」だったというのはとても興味深いことだった。この「締め切り」もまた、自分で設定したものだろうが。)