裸婦を描く(2)

●昨日につづいて、デッサン会二日目。昨日は、とにかく新鮮で楽しいばかりだったのだけど、今日はちょっと罠にはまってしまった感じて苦労した。なににしても、最初は新鮮で楽しいのだけど、二回目、三回目になると、具体的な問題がいろいろと見えてくるもので、だからそれは普通のこだ。とにかく、昨日、今日と、ベタに普通の裸婦クロッキーみたいなことをしているのだけど、それによって、いままで「線」のドローイングでやってきたことが間違っていなかったという感触を得た。ドローイングでやってきた「線」の捉え方と、同じやり方で具象的な形態をも掴めるという手応えを感じられたからだ。線は決して、輪郭線でも記号でもなく、空間のなかで位置をもち、動き(流れ)をつくりだし、そして重さを支える(受けとめる)ものとしてある。そして、位置と動き(流れ)と支えとを、画面内部に配置することによって、(結果的に)形象が浮かび上がる。(決して、輪郭線で囲ったり、細部を描写したりすることによってではなくて。)線はあくまで「線」それ自身でありつつ、その配置とリズムによって、形象が生まれるのだと思う。(具体的には、こんな感じ。http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/d070422.html)