●七月も半ば過ぎだというのに、夜中に寒さで目が覚めた。
●半端ではなくお金がないので外に出られず、最近はずっと部屋に籠って、制作しているか、本を読んでいるか、ビデオやDVDで映画を観ている。若い頃にお勉強として観た古典映画をいまさら観直したりしている。マンキウィッツの『幽霊と未亡人』を観ていて、大胆な時間の省略の後、主人公の娘が急に大きくなって婚約者を連れて帰ってきて、「船乗りが好きなのは親譲りかも」とか言って、「わたしも子供の頃、キャプテンの幽霊をみていた」と母親に告げるシーンで、それまで割と冷静に観ていたのに、唐突に感情が昂揚する。「時間」というのは、あるひとつの出来事によって、遡行的に、過去に向かって急激なひろがりをみせるものなのだなあ、と思う。
●『亀は意外と速く泳ぐ』(三木聡)。上野樹里が出ているから観たが、映画として観るべきところは一カ所もない。ただ、お話としては嫌いではないので、なんとか最後まで観られた。この話をどうやって纏めるのだろうと思って観ていたのだが、話の収束のさせ方などは、かなり好きですらある。でも、映画の全てが、連続する小ネタを成立させるためだけにある(それ以上でもそれ以下でもない)、というような映画で、だから被写体(俳優とか風景とか)の魅力を引き出そうとかいう感じが全くなくて(唯一、父親役の岡本信人がちょっと良かった)、映画としての運動の魅力とかもまったくなくて、退屈はしないけど、まったく面白くもないという、この映画に出て来る「そこそこラーメン」みたいな映画だった。
●『らき☆すた』、1話、2話をDVDで。いや、決して嫌いではないけど....、何と言っていいのか....。ベタに観れば、ただ複数の類型的なキャラだけがいて、それを立体化させるような構造や仕掛けがいっさいない、徹底してフラットな世界で、キャラがただだらだらとお喋りをつづけているだけ。そこには、深読みを誘うような細部の充実や過剰とかもない。いっさいの緊張も摩擦もなく、オチのための「待機の時間」としてのフリの宙づりのテンションもなく、ネタとして特に面白くもなく、脱力したフラットな時間がだらだら、ずるずるに流れてゆく。あまりにフラットで低いテンションなので、それを観る側としては、思わず「メタ」な視線を作動させ、それを期待してしまうのだけど、それに応えてくれるような細部や仕掛けが(すくなくとも1話、2話においては)みられない。こんなにフラットなのに、『亀は意外と速く泳ぐ』などよりずっと作品として複雑で高度に感じられてしまうのは、たんに、観ているぼくがそのフラットななにもなさに耐えられなくて、そこに何かしらの複雑さの徴候を無理矢理に読み込んでしまうからなのだろうか。(それにしても、2話のエンディングでいきなり「アクマイザー3」の主題歌が出て来た時にはのけぞった。この作品は、「商品」として、一体どこに向けてつくられているのか。)