引用、メモ。『セザンヌとの対話』

●寝込む程ではない風邪の症状がなんとなくつづいている。昼過ぎまで半日寝て、駅近くの喫茶店へ原稿を書きにゆく。昨日は涼しかったので冷房はあまり効いていなかったのだが、今日はかなり強い。それを見越して厚着していったのだが、それでも冷える。トイレに何度も立つ。
●引用、メモ。『セザンヌとの対話』(ジョアキム・ギャスケ)より。今のぼくは、美術については、このような言葉にしか興味が持てないみたいだ。セザンヌの言葉を読むと、今までの自分の仕事がことごとくつまらないもののように思えてしまいもする。「その灰色が、そこに一つあるわけだ」、「一つの拍子が土をうねうねさせている」、「緑の斑点は、われわれに一つの風景を与えるに充分なのだ」。絵画について、これ以上に新鮮で刺激的な言葉が他にあり得るだろうか。
《ね、君....わしは、タルロワールにいたのだ。穏和な同郷人にとっては、その灰色が、そこに一つあるわけだ。様々な灰色が、君欲しいか。ほーら、そこにある。それから、色々の緑だ。地球全図の灰緑全部だ。あたりを取り囲む丘陵は、かなり高いようにわしは思った。それは低く見えた。そして雨ふりだ!....二つの湾口の間には湖水がある。イギリス婦人たちの湖水だ。アルバムの葉が、すっかり水彩のように成って、樹木から落ちる。たしかに、これは常に自然だ.....しかし、わしの見る通りではない。ね、そうだろう.....灰又灰。灰色を画にしなくちゃ、画家じゃないよ。ドラクロワは、絵全体のなかで、我慢のならないものは灰色だと云う。そうじゃない。灰色が描けなかったら画家じゃない。》
《(....)土は、ここでは、いつも震動している。起伏があり光を反射し、眼瞼をしばたたかせる。だが、土はいつも差異を見せ、柔か味があるように感ずるがいい。一つの拍子が土をうねうねさせている。
ただ遊戯と舞踏だけを愛せよ、
ただただ、拍子だけを求めよ、
君の友人のマガルロンの云う通りだ。これは頗るプロヴァンス的だ。ここでは、連続爆発するものは何もない。すべてが強烈になる。しかも、最も快美な調和のなかでのことだ。なるがままに、しておくほかはないかもしれない。わしが、もし、いつも、君たちのように雄々しかったらね。わしが、もし、ティチアンのように、あの素晴らしい頭脳力を持っていたらね、あれは百歳までは生きた。しあわせな男だ....ペストが、もし、ティチアンを倒さなかったら、彼は、まだ、描いていたかもしれない.....出来ることだったら、わしは、いつでも働いているであろう。余り疲れないようにして。そこで君は、おわかりに成ろうというものだ。わしは、そうなると、単純な人達の最大の画家であったろう。自然は万人に語る。曽って風景を描いた人がなかった。人間が不在で、すっかり、風景のなかにいる。仏教徒の大機械。涅槃。熱情なく、逸話のない慰安。絵具! ここでは、盛り上げるだけのことだろう。咲き盛らせるだけのことかも知れない。》
《ルノワルは巧手だ。ピスアロは百姓だ。(略)どんなものをルノワルが作り上げたというのか。わしはあれの風景を好かない。あれは真綿のようなものを見ている。なぁにシスレイ?....さよう、。だが、モネは一眼だ。画家なるものがあって以来、一番の素晴らしい眼だ。わしは帽子をとってモネに挨拶するよ。クゥルベになると、自分の眼のなかには、すっかり出来上がった画像をもっていた。(略)しかし、ちょっと聴きたまえ。緑の斑点は、われわれに一つの風景を与えるに充分なのだ。われわれの顔を表現したり、われわれが人間の面相を作るには、肉色調で沢山であるように。このことが、われわれ全体を、おそらくピスアロから脱出せしめるものなのだ。彼は、中米カリブ海のアンテイユ島生まれの血管(欠陥?)をもっていた。彼は、その島で先生なしでデッサンを学んだのだ。わしに、皆、話してくれた。1865年には、もう、墨(ノアル)、瀝青(ピチユーム)、シイエンナ土色、石黄を消し去っていた。これは一個の事実だ。三個の基本色と、その直接の変化色との以外のものでは、決して画をかかないようにと、わしに言ってくれた。(略)え?印象主義のことだって?それは色彩の光学的混合だ。おわかりかね。画布の上の色調分割と、網膜の上の復元だ。われわれは、そこを通らなければならなかったのだ。モネは、ルゥヴル博物館に収められるであろう。よろしい、コンステーブルとターナーの傍にだ。それ所か、モネは、もっと偉大だ。彼は地球の華やかな虹色を描いた。彼は水を描いた。(略)だが、すべてのものの逃避のなかに、あのモネの画作のなかに、堅牢性をもたせなければいけない。今は、一つの骨格を与えなければいけない。》
《わしはね、おわかりだろう、頗るゆっくり、取りかかる。自然はわしに複雑に現れて来るので。そして、為すべき進歩は、停止するところがないから、ルゥヴル博物館は参考とすべき良書である。わしは欠かさず出かけて行った。しかし、これは、まだ、仲介者でしか、あってはならない。企てるべき真の不思議な研究というのは、自然に関する彩画のまちまちであることである。わしは、ルゥヴル博物館から帰ると、こういう考えに落ち着くのだ....画家というものは、自然に関する研究に、全身献身すべきものであり、そして、教化となるべき彩画を創り出さねばならぬ、と。》