●昨日は、埼玉県立近代美術館まで、熊谷守一展を観に行った。予想を超えて充実した展示で、作品数も多く、うれしい半面、こんなにいっぺんには観れないよ(こんなにいっぺんには受け取りきれないよ)とも思った。熊谷守一は「日本近代絵画」の奇蹟みたいな人で、つまり、日本近代絵画という範疇にいながらも、「日本近代絵画」という文脈を必要としない強さにまで作品を高めることの出来た、ほとんど唯一の人だと思う。(ちらっとあったクマガイへの疑問、例えば、日本趣味や工芸的な仕上げに流れがちな傾向があるんじゃないか、みたいなものは、これらの作品の充実の前で吹き飛んでしまった。実物を、ある程度の数まとめて観れば、そんなことはないと分かるのだった。)
確かに、高橋由一や岸田劉生は凄いけど、それはあくまで「日本近代絵画」のなかで突出しているということだし、藤島武二は上手いけど、それは当時の貧しい情報のなかでよくぞここまで、という意味でだし、つまり「日本近代」という劣悪な条件(文脈)のなかでは凄いということだ。しかし熊谷守一は、展覧会でマティス、ボナール。クマガイと作品が並んでいてもまったく遜色ないし、ロスコ、カロ、クマガイと並んでいたっておかしくはない。(おかしくはない、というのは、共通した要素があるということだけではなく、同等の強さがある、ということだ。タイマン張れる、と。)しかも熊谷は、若い頃はともかく、ある年齢を過ぎてからは、西洋美術で何が起こっているかという情報など感心がなく、まったく自分勝手に自分の作品を追求していて、そうなってしまっているところがすごい。(ピカソやマティスくらいは知っていただろうけど、大して興味もなかっただろうし、ましてや抽象表現主義やそれ以降のフォーマルな絵画などまるで知りもしなかったはずなのに、ほぼ同時期に、似たようなことを、というかもっと凄いとをしていたのだ。)青木繁や藤島武二と同世代(芸大の同級生)の人が、あんな作品を作れてしまうなんて。
しかし、例えば藤田嗣治がヨーロッパで高い評価を得、国吉康雄や岡田謙三がアメリカで高い評価を得ているというような意味での国際的な評価は熊谷にはおそらくなくて、国内的な評価しかないのが不思議と言えば不思議だ。(まあ、ずっと日本にいたからだけど。)海外に作品がほとんど売れていないからこそ、こんなに充実した展覧会が可能なのだと思われる。フジタもクニヨシもオカダも、近代絵画の「王道」ではないマイナーな作風であることから、「向こう」としては受け入れやすかったのだろうけど、クマガイは図らずして「王道」と重なってしまっているから、そんなことを「日本人」にやられてもねえ、という感じもあるのだろうと思う。
作品と直接関係ない話ばかり書いてしまっているけど、ついでにもう一つ言うと、熊谷守一というと必ず、最晩年の仙人のような風貌の枯れた写真ばかりが強調されるけど、これはあまりに偏ったイメージ操作で、もともとクマガイは野武士のような無骨な風貌で、頑強な身体をもった人のはずで、展覧会でも68歳の時の写真が一枚だけ展示してあったのだが、ほとんど四十代くらいにしか見えない若々しさで、むしろかなりなまなましい。実際作品を観れば、枯れた人があんなに強烈な色彩の仕事をするはずがないと分かるのだが。
●ごく初期の作品からでも、クマガイの関心の異様さがわかる。描き方そのものはいかにも油絵のお勉強みたいに見えるけど、そこでの関心のあり様は、いわゆる「洋画」をやっている同級生たちとは基本的に違っているようだ。ロウソクの微かな光のなかで浮かび上がる自画像などは、レンブラントが捉えるやわらかな光の繊細な表情などではなく、暗闇に火を点したら、一瞬、見えないはずの幽霊が見えてしまった、というその瞬間を捉えているかのように見える。見えないはずのものが、しかし確かに見えてしまう(しかも自分の顔のなかから)、その妖気のようなものを捉えようとしているように、ぼくには思われる。風に揺さぶられてしなっている木を描いた絵も、そんな瞬間が見えているはずもないのに、しかし何故か捉えられてしまっているある瞬間を描こうとしているのではないか。(後ろに虹が出ていることの異様さ。)これを無理矢理に西洋絵画と関係づけるとするならば、最も近い感じはマネではないだろうか。マネの絵が瞬間を捉える独特のやり方。それはスナップショットによって捉えられるものとは別の、絵でしか捉えられない「ある瞬間」であるように思う。それは、ベルト・モリゾやマラルメを素早い筆致で捉えた肖像にもっとも分かりやすくみられる。クマガイが、後に結婚することになる女性を描いた「某夫人像」などは、どこかマネのベルト・モリゾの肖像を思わせる。(まあ、マネと比べれば随分と野暮ったい筆致ではあるけど。)ただ、マネの捉える瞬間は割とクールなものなのだが、クマガイの捉える瞬間は、もっと妖気=狂気の気配が強く漂っている。(だからクマガイは、クールベ-高橋由一的な、近代絵画の王道としてのリアリズム(それは、油絵の具という「物質」の発見でもある)とは別の場所から出発している。あるいは、学生時代、いつもわざわざ薄暗いところで絵を描いていたというのだから、印象派-外光派的なものとも逆のベクトルをもっていたのだろう。)
●この感じは、晩年のクマガイモリカズ様式の作品にも、形をかえてはっきりと受け継がれているように思う。初期の作品では、暗い闇のなかから微かな光で一瞬ふわっと浮かびあがるものの捉え難さとしてあったものが、晩年には、強烈な色彩の効果によって確定的な位置関係が失われることと、一見単純にみえる形態が、しかし視線による把捉をするっと逃れてしまうように絶妙に配置されることによって、瞬間としてではなく、時間の消失のようなものとして実現されているように思う。(そのためには、あの「塗り残された線」の力も大きい。)時間が消えることで空間も消える。触れることも近づくことも出来ず、ただ「見る」ことしか出来ない純粋化されたイメージが、時間と空間の外にあらわれ、まるで永遠にそこにありつづけるかのようでもある。確かに見えるのに近づけない、すぐそこにあるのに、薄皮一枚隔てて異次元であるようなイメージ。見ることしか出来ないことのあやふやな強烈さとでも言うのか、自分の内部にあるのか外部にあるのかさえ確定できないし、いわゆる「目で触る」ようなことも許してくれないような幽霊=イメージであるように思う。
●有名な「ヤキバノカエリ」は、晩年の様式でありながらも、初期の作品に近い感触をもつ。この作品のキモは要するに、画面のほぼ中心に位置する骨壺の白が、現実ではないかのような異様な昏い輝きをみせる点にあろう。この白を輝かせるために、周囲の色、主にくすんだピンクというのか、白を混ぜられた赤紫というのか、そのような色の調子が調整されている。つまり、初期作品において、闇からロウソクの光によって一瞬ぼうっと浮かび出すものが、ここでは、沈んだピンクの色調のなかから、異様な白として浮かびあがる。絵の構造としては、むしろ単調なものとも言えるのだが、それでもこの白のもつ妖気は、ただごとではないように感じられる。
●30年代中頃の、薄塗りの風景画などは、ニース時代のマティスのようにすら見える。描かれているのはニースではなく、最上川なのだけど。
●展覧会をみると、一生を通してほぼどの時期の作品も充実していて、まずそのことに驚かされるのだが(まったく絵を描いていない時期もあるのだが、描いている時はいつも、その時期なりの充実した作品をつくっている)、それでも最も油が乗っていると思われるのは50年代で、それは画家の70歳代と重なる。この時期、枯れるどころか狂い咲きのように増々生々しい。70歳代で最も生々しいのだから、画家という人種は、生物学的な年齢とは別の時間に生きているものなのだと、改めて思う。
●クマガイは、人体に対しても強い関心を持ち、それは礫死体を描きもするくらいなのだが(今回はそれは展示されていない)、晩年の様式において、人体(ヌード)の作品だけは、過度な様式化がなされているようで、いまひとつのように感じられた。それは何故なのだろうか。ぼくがなにかを見落としているのだろうか。