08/03/01

●ぼくの作品を欲しいという方と、ギャラリーでお会いして話す。その時、その作品が壁にずっと立て掛けてあって、それを観ながら話していたら、だんだんその作品を手放したくなくなってきた。すごい自己愛的で気持ち悪いと思われるかもしれないけど、ぼくは自分の作品が結構好きなのだと、改めて思った。
勿論、自分の作品だけが好きなわけではないし、自分の作品こそが抜きん出て素晴らしいと思っているわけでもない。制作の途中で、自分のやっていることが信じられなくなったり、自分の能力の足りなさにうんざりすることはしょっちゅうだ。アトリエにたてかけてある自分の作品が見える場所で、尊敬する画家の画集などをパラパラ観ていて、そのモードのまま、目の端に自分の作品が映ったりすると、巨匠の作品と比べた時のその脆弱さに力がぬけたりもする。
とはいえ、やはりどこかで、いや、そんなに悪くもないんじゃないの、とか、というか結構いいんじゃねえの、とか、ああ、この色とか渋いよなあ、とか、ちゃんと思っていて、こういう自足は危険といえばすごく危険でもあるのだけど、そうはいってもこれがなければきっとつづけられない。
絵を描くのが好きだ、とか、自分の作品も結構好きだ、とか、そういうことはまともな「美術家」は恥ずかしくてなかなか言えないもので、その恥ずかしさを誤摩化すために、いろいろと難しいことを言ったり、やったりもする。ここで恥ずかしいという感覚はとても重要で、恥ずかしさを感じない人は信用出来ない。それは勿論そうなのだが、それでもやはり、この人自分の作品が好きなんだろうなあと思えない人の作品もまた、信用出来ない気がする。
●ぼくの作品は高いと思う。ぼく程度の評価しかない作家の一般的な値段の設定より、おそらく二割から三割くらい高い。値段を高くすることは、ぼくにとって経済的に有利にはならない。買う気で来たけど、これじゃあちょっと手が出ない、と言われることも割とある。普通に考えれば、これは気軽に手が出る値段ではないよなあと、自分でも思う。ごくたまに、若くて、そんなに裕福だとも思えない方が買ってくださったりすると、とても嬉しい半面、こんな値段で申し訳ないなあという気にもなる。(とはいえ、そんなに常識はずれに高いわけではない。ぼくにもその程度の社会性はある。)
現代作家の作品を気軽に買いましょう、みたいな流れがあって、それはそれで別に良いのだけど、ぼくは自分の作品はそんなには気軽に買ってほしくない。というか、そんなに気軽に買えるような軽い作品はつくっていない、という程度の自負はある。(手放す方としても、そんなに手軽に手放せるものでもないのだ。)基本的に「一点モノ」である美術作品というのはそういうものだと思っている。それは一種、呪物的な力ももつ。その作品を引き受けるということは、結構重いことでもあるはずだ、と。(そんなことを言いつつも、ぼくは、他人の作品については、軽く買えるような作品しか買ったことがない。ずるいなあと自分でも思うのだが、呪物を引き受けるには、それなりの覚悟が必要なのだった。)
「近代絵画」とか言ってる奴が何を言ってんだという話だし、こんなに重いことを書くと、もともと売れない作品がますます売れなくなりそうだったりもするのだけど。別に、「俺様の作品をありがたく受け止めろ」とか、そういうことじゃないです。しかし、芸術作品というのは基本的に敷居の高いもので、そこにはちょっとは無理しなければ越えられない壁があるはずだ、ということです。あと、念のために書き加えておけば、ぼくの作品そのものには、呪物的などろどろしたところはまったくなくて、むしろそういう作品は嫌いです。