08/03/31

●大学卒業して四月から社会人で、これからの人生、不安もあるけど前向きに、みたいなブログを読んで、自分にはそういうことが一度もなかったということを、改めて思った。
大学の卒業の日は、ぼくが今まで生きてきたなかで最も落ち込んでいた日のうちの一日であることは間違いなくて、諸々の事情が重なったこともあり(悪いことが重なる時は重なる)、四月からの自分の居所がまったく決まっておらず、大げさじゃなくて、真っ暗な闇のなかに捨てられる感じだった。(さらに、卒業式と謝恩会の間の空いた時間に観た、ぼくの青春では神のような映画作家だった相米慎二の新作がつまらなくて、それに愕然として、いっそう落ち込んでいた。)謝恩会は渋谷の店であって、それが終わった後、夜の道玄坂をとぼとぼ下っていた時に見た風景とよるべなく絶望的な気持ちは、今でも憶えている。
大学にもう少し残るつもりだったのがダメになって(ダメになるという可能性をまったく考慮にいれていないところが、そもそもおかしいのだが)、住むところだけはなんとか、家賃一万二千円の、六畳、風呂なし、共同トイレのボロいアパートを確保してあったけど(同じアパートの四畳半の部屋はもっと安かったが、それだと本を入れると寝る場所がなかった、そこには、取り壊しになるまで十年住んだが、ずっとネズミに悩まされた、アトリエも一万ちょっとで借りられるところがあって、その2つの破格の家賃のおかげで、卒業後10年をしのげた)、就職は勿論最初からする気がまったくなかったのだが、バイト先すら決まっていなくて、というか、まったく世間知らずの学生だったから、どういう種類のバイトでどの程度働けば、ギリギリ食っていけるのかという感じすら全然分かってなくて(バイトの経験すらほとんどなかった、学生のときは、バイトする時間があったら絵を描きたいと思っていた、というか、働くのが徹底して嫌いなだけなのだが)、親に泣きついてもう一ヶ月だけ仕送りしてもらって、その間になんとかしなきゃと思っていたのだが、その「なんとか」が、どういう「なんとか」でどの程度の「なんとか」なのかの予測も立たず、目の前には何もなく、これからどうしてゆくのかの方針もなく、一日先の自分の姿も思い浮かべられない状態だった。状況的な厳しさよりも、未知の「社会」に何の準備もなく一人で放り出された、先が見えないことの不安がすごかった(そもそも、あまりに甘い見通しで「準備」してない自分がバカなだけなのだが、そしてその「バカ」は今でもまったく治っていないのだが、そのほかにもいろいろあって本当に「一人」という感じだった)。とはいえ、それは93年で、まだバブルの余韻が多少は残っていた時期だったので、「なんとか」なってしまって、それから今まで、様々なことを誤摩化したり先送りにしたりしながら、「なんとか」やってきてはいるものの、今の状況は、大学を卒業したその日と、歳くっただけで、先が見えないことでは、ほとんどかわっていないような気がする。ただ、先が見えないことに慣れちゃっただけだ。