08/04/02

iPodを聴くために使うイヤホンには、ハードな部分と、それと耳の穴とを媒介する、ふにゃっとしたソフトな部分があって、それが耳への当たりを柔らかくすると同時に、その弾力によって耳へと固定され、保持される仕組みになっている。最近ではそのソフトな部分は、各人の耳の大きさや形状にあわせて、だいたい大中小と三種類くらいついていて、ハードな部分とソフトな部分とは着脱可能になっている。でもそれは意外に取れやすくて、気づいた時にはなくなっていて、どこで落としたのか分からない、という事態にしばしばなる。ソフトな部分がなくなって、ハードな部分がむき出しになると、耳に固定しようと思っても、すぐにぽろっと落ちてしまうし、音の伝わりも悪くなる。でも、そのソフトな部分だけを別売りしているなんてことはないので、また新しくイヤホンそのものを買い直さなければならなくなる。
イヤホンを買うために、というか実はそれは本当はどうでもよくて要するに散歩なのだが、一駅となりにある家電大型量販店まで歩いてゆく。イヤホンを買った後で、都まんじゅうを買おうと思ったのだが水曜は休みで、原稿料が振り込まれてようやくちょっと余裕ができたので久しぶりに本屋に寄ろうと思って、長崎屋のエスカレーターを昇ってゆくと、そこにあったはずの喜久屋書店がなくなっていた。
フロア全体に白いシートが被されてあって、あれっと思って近づいてゆくと、3月31日で営業を終了しました、と書かれていた。驚いたのと同時に、ああ、やっぱり駄目だったのか、と思った。喜久屋書店は関西に本拠を置く本屋のチェーン店らしいのだけど、昨年、長崎屋の6階から8階までのフロアすべてを使った大型の店舗をオープンさせた。駅前には既に2つの大型の書店があり、駅から少し距離があることもあり、はじめから「そんな無謀な」という感じだったのだが、その上、当初は、いつ行ってもびっくりするくらい人がいなくて、本の配置というのか展示というのかレイアウトというのか、そういうもののセンスが微妙に悪いし、これで大丈夫なのだろうかと思ったのだけど、最近では少しずつ客が増えている感じで、品揃えが良い店なので、なんとかつづいてほしいと思って、微力ながら本はできるだけそこで買うようにもしていた。
駅からの距離という問題もあるけど、長崎屋のなかにある、ということも大きかったのではないだろうか。別に長崎屋が悪いということではないが、長崎屋はデパートとスーパーの中間くらいの感じの、割と昔ながらのという感じのこまごまとたものを売る庶民的な店で、そのなかに大型の書店があるというイメージがなかなか持ちづらいし、そもそも、長崎屋の利用客と、大型書店を必要とするような客とは、客層がほとんど重ならないと思われる。実際ぼく自身、そこに本屋が出来るまで長崎屋を利用したことはほとんどなかったし、本屋に行ったついでに長崎屋で買物をするということもなかった。ああ、やっぱり駄目だったかと、すごくがっかりしながら、反対側のエレベーターまでまわって、下っていったのだった。
古本屋で、筑摩世界文学大系ベケットブランショの巻を百円+税で買って(以前は、筑摩世界文学大系とか、集英社の世界の文学とかは、古本屋の店先に安価で大量に積んであったのだけど、最近はあまり見かけない気がするのだが、こういうのは今は百円でもなかなか売れないのかもしれない)、古着屋で五百円と四百五十円の帽子を買って(古着屋のレジにいたおっさんの、ちょっとオダギリジョーっぽく後ろで束ねた髪が豪快に波打っていて、これを下ろしたらどんだけ長いのだろう、と思った)、歩いて帰った。途中で、夢美術館という変な名前をもつ美術館で「日本近代絵画のなんとか」という展覧会をやっていることをポスターで知ったのだが、立ち寄らなかった。小さな公園に一本だけ立っている桜の木を見て、相米の『雪の断章・情熱』のキャッチボールのシーンを思い出して、あのシーンは素晴らしかったとつくづく思った。♪いこーかもどろーおかオーロラの下でえー。