●野毛山動物園で観て一番面白かったのは何種類かいる小型の猿で、おそらく大型の猿も同じなのだろうけど檻の空間の大きさの関係であまり感じられないのだが、小型の猿は本当に木の上、あるいは木と木との間の空間という(あるいは天と地の間という)「中空」で生活しているという感じで、それは地面という平面で暮らすのとも、鳥のように空を飛ぶのとも全く違う、重力や空間の感覚のなかで生きているのだろうなあということが凄く感じられたということなのだった。猿にだって勿論、人間や物と平等に重力は作用しているはずなのだが、おそらく、自身の体重や重心の捉え方の正確さ、自分の筋力とそれによって飛び越えられる距離との関係を測る正確さ、枝のしなりが支えうる重さやその重さに対する反発力への予期の正確さ(その誤差を修正するスピード)、張り巡らされた枝のネットワークへの把握力(上下左右へとひろがる空間への把握力)、木の枝という不安定な足場で身体を安定させられるバランス感覚、等々が飛び抜けていることによって、その運動神経によって、中空という(「地面」のようには物理的には実在しない)次元をひらき、そこを住処とすることが可能になるのだろう。それを見ているぼくにも、中空という場が開かれていくのが見えるかのようなのだった。そして、そのような猿の動きを見ていてはじめて、『肝心の子供』のラストが、感覚的に理解出来たように思えた。(『眼と太陽』の最後にも、螺旋を描いて木から降りてくるリスの印象的な動きがあった。)
●とにかく淡々とこなすしかない用事を、なんとか五月中にやり終えてしまって、それから集中して他のこと(本のための原稿やゲラの直しや対談のための準備)をしようと思っていたのだが、淡々とこなさなければいけない用事が途中で停滞してしまっていて、あまりに進まなくなったので、目先をかえるために、これを一旦後回しにして、先に本のための原稿を少し書いて、しばらくしてから用事の方へ戻ってくることにした。
そうと決めたからは、原稿を書くためには、やはりもう一度川村記念美術館までマティスを観に行った方が良いと思った。25日までで、最後の土日はきっと混むから、木、金のどちらかくらいに行ければと思う。(金曜は誕生日でもあるので、金曜に行くかも。)とはいえ、やはり佐倉までの道のりは遠く、なかなか億劫だし、貧乏人には往復の交通費だけでもけっこう痛いのだが。
(あと、さらに、美術館にマティスのけっこういい感じの画集が、三万円以上する値段で売っていて、14日に行ったときはそんなに現金をもっていかなかったので諦めるしかなかったのだが、もう一度行くとなると、もしかしたら買ってしまうかもしれなくて、しかしそんなことをしてしまったらその後の経済的状況がとても恐ろしいことになる。もう一度現物を手にとって観てみなければどちらとも言えないのだが、買えるだけの現金を持って行ってしまうことはおそらく避けられなくて、それはとても危険なことなのだ。やばい。)