●朝起きて、すこし原稿を書いて、昼前に、郵便物を出すためと、レンタルのDVDを返すために外出する。するとすごく天気がよくて、湿気も適度で、今年はじめての五月らしい陽気なんじゃないかという陽気で(来週くらいから梅雨入りらしいので、もしかすると今年で唯一の五月らしい陽気で)、そのままふらふらと散歩する。そんな余裕もないのだが、しかし、このような陽気のなかでの散歩は、あらゆる用事に優先されるべきだ。
河原を歩くと、今日はもう、光も空気も、木々の緑や雑草も、すべて完璧にすばらしくて、今日の散歩の幸福と興奮の記憶だけで、来年の五月までの一年間をのりきることが出来るのじゃないかとさえ思えた。
それにしても、強い陽光のもとで、濃い緑の葉をびっしりとつけた枝や、みっしりと勢い良く繁る雑草が、風でゆらゆらと揺られている光景を見ることは、何故こんなにも興奮させられるのだろうか。ぼくにとって緑とは、癒しとかではなく、まさにアドレナリン出まくりの興奮状態を招くものなのだ。もしかすると、ぼくにとって絵を描くということは、このような、木々の緑が風に揺さぶられているところを見る時の興奮を再現させるという以外のことではないんじゃないかとさえ、時々思う。いや、そう言い切ってしまうことにはさすがに躊躇があるのだが、そんな予感がしなくもない。
●あまりに興奮し過ぎたので、一時間くらいの散歩でぐったり疲れてしまう。帰って少し昼寝して、午後はずっと喫茶店で原稿。ホラー映画論、書けたっぽい。