08/05/28

●ぼくは計画をたてない。(狙ったものは必ず「外す」自信がある。)きちんとした計画があると、その計画のプレッシャーに負けてしまうからだ。住宅ローンとか組む人ってすごいと思う。ぼくだったら、三十年間ずっとローンを支払いつづけなきゃいけないと思った時点で(その三十年という時間のプレッシャーに負けて)怖くなって失踪してしまうだろう。ぼくだって、毎月家賃を支払っている(支払いつづける)のだから、(金額の大きさはちがっても)結果としてやってることは変わらないのだが、三十年先の未来から現在が規定されていることと、とりあえず今月の家賃はなんとか払えた、と、その都度月ごとに思うこととは全然違う。
絵を描く時も、それを完成させなきゃいけないと思うと、それだけで気が重くなって手が入らなくなってしまう。だから、とりあえず、描き始められるに足りるリアリティ(手がかり)が得られたらはじめて、つづけられるに足りるリアリティが持続する限りつづけて、もう、これはこれでいいんじゃないかと思えたところでやめる。それ以外のやり方を知らない。
この日記だって、はじめた時はなんとなくはじめて、たまたま今までつづいているだけで、はじめから、十年つづけることを目標にしよう、とか思っていたら、一週間でやめていただろう。目標なんてたてると、目標に支配されてしまって(というか、目標の支配からわけもなく逃げたくなってしまって)ろくなことにならない。(少なくともぼくの場合は。)完璧な完成系をイメージして、そこに向けて一歩一歩近づくべく努力する、とか、ぼくには思いもよらない。
でも、こういうやり方だと、複数のことを同時に進行しなければならなくなると、簡単に脳の容量が足りなくなって、いっぱいいっぱいになってしまう。今がまさにそれだ。記憶と、場当たり的な思いつき(結局ぼくは、場当たり的な思いつきと、その行為の反復による蓄積-記憶-経験しか信用していないみたいだ)でやっていると、処理しなければならない情報の量が増大した時に、「すっかり忘れていること(意識から落ちていること)」がいろいろと出てきそうで怖い。