08/05/29

●あとがきを除いて、本のための原稿はとりあえず全部できた。最後の原稿をメールで送信する。順調にいけば、一ヶ月後には店頭に並ぶはず(まだこの先いろいろあって、ほっとするには早過ぎるのだが)。
まだ具体的には書かないけど、タイトルは、ぼくが最初に考えていた(そうしたいと思っていた)のとは少しちがって、この本に収録されるリンチ論のタイトルが、そのまま本のタイトルになる予定。装丁は、「この人に是非」と思っていた人に引き受けてもらえたようなので、まず間違いはないと思う。値段は、最初は二千円前後くらいと想定していたのだけど、ぼくの悪いクセで原稿を長く書き過ぎたせいで、もうちょっと高くなるみたいだ(でも三千円よりは下)。
本で取り上げている作品で、一番あたらしいのは、つい12日前に観た中野成樹の『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』で、一番古いのは多分、15世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ。1400年代から今月まで、トスカーナ地方から野毛山まで。この、550年くらいの時間の幅だけでも、ちょっとすごいんじゃないかと...。(まあ、レオナルドだけ飛び抜けて古くて、あとはだいたい二十世紀以降なのだが。)
全体の構成は、1.イメージをめぐって、2.絵画をめぐって、3.男の子、女の子の方へ、となっている。「3」だけ浮いているというか、取って付けたような感じかも知れないけど、これがないと、何と言うかフェアじゃない気がする。ぼくにとって、リンチを観ること、マティスを観ることと、『ウテナ』や『フリクリ』を観ることは密接に繋がっている。本では、いろいろなジャンルの作品が雑多に取り上げられてはいるけど、全部繋がっているというか、結局同じことを言っているというのか...。
●鶴田法男『ドリームクルーズ』をDVDで。やはり、鶴田法男のホラーは、感情のホラーで、世界の自律的な運動(呪い)に対して、愛(感情)の力が強く作用する(余地がある)。あらかじめ世界に書き込まれている「呪い」が全てで、愛が書き込まれるスペースがまったくない高橋洋や、世界の自律的運動の進行が最も優先される黒沢清とは異なっている。
愛の作動が期待されているということは、未来が期待されているということでもあって、鶴田法男の映画には、だから未来へとのびてゆく時間がある。ひたすら構造の反復である高橋洋の映画には、未来という時間(未来という感情)がそもそもない。黒沢清にはおそらく、世界の自律的運動が、運動として自らを展開するための余白としての、貧しい未来がある。
おかしくなる前の、普段の状態での石橋凌の怖さがもうちょっと出せるてると、もっとずっと面白かっただろうと思う。普通の場面の描写での、三角関係のあり様の緊張感が足りないと思った。あと、この映画では、鶴田法男が『ヌーヴェルバーグ』(ゴダール)をやっている、という楽しみもある。