●空いた電車で座席に座って、向かいの窓の外を見ていた。外はなだらかな土地がひろがって建物もまばらで、ずっと先まで視線が伸びた。かなり先で低い山というか丘のように土地が競り上がっていて、その斜面に家がびっしり建ち並んでいる。冬の、低くから斜めに射す光が家々の屋根に当たって反射し、斜面全体がラメのようにキラキラ光って見えた。気を緩めると、自分と輝く屋根との間にある距離がふっと消えて、それだけでなく、高速で横へと移動しているはずの電車の速度さえも消えて、光を反射する屋根が静止して、触れられそうにすぐ目の前にあるように感じられた。触れられそうにというよりも、それに呑み込まれそうな勢いで迫ってきた。その感触はすぐに過ぎ去ったのだが、正常な距離の感覚はなかなか戻らず、しばらくは、丘の斜面は実際の距離よりもずっと近いものと感じられていたし、電車が移動していることが幻のように感じられた。
●午後はずっと本を読んでいた。ムージル、ディック、福永信、その他。ムージル「黒つぐみ」の、次に引用する描写を何度も読み返した。言葉による描写には、視点も、距離も、パースペクティブも、そして時間も、関係ないのだった。この、もこもこ、みっしりした質感。以下は、戦場での出来事。
《夜になるとぼくらは谷の中央にある前進陣地に移動した。何ひとつ覆うものもなく露出した地点で、高みから石を投げてぼくらを打ち殺すことも可能なほどだった。しかし、ぼくらはただゆるやかな砲火で焙りたてられたにすぎなかった。いずれにせよ、そのような一夜が明けた朝は誰もが異様な表情をうかべていて、数時間たたなければ消えうせなかった、目は大きくふくれあがり、おびただしい肩の上に載った頭は、踏みしだかれた芝草のように、不揃いにむくむくと起きあがるのだった。それにもかかわらずぼくは、このような夜ごとに幾度も塹壕のへりから首をもたげ、恋に落ちた男の風情よろしく、肩ごしにそっとふりかえって見たものだった。するとそこにはブレンタ連山が、むりやりに折りたわめたガラスをさながらに、ほのかに青くかがやきながら夜空にそばだっているのが見えた。そしてまたほかならぬこの夜々には、星はパンチで打ち抜かれた金紙のように大きく、練り粉を焼いたように分厚い感じでまたたいていた。大空は夜になってもまだ青く、その中央には純銀または純金の、たおやかな少女めいた上弦の月がかかり、夢見ごこちにただよっていた。なんという美観だったか、ぜひきみにも想像してもらいたいものだ。平穏無事な人生では何ものもこれほど美しくはないのだ。時にはもうこらえきれなくなって、幸福感とあこがれに胸をふくらませながら夜の中をはいずりまわることもあった。緑金の色調をたたえて黒ずむ木々のほとりまで来るとぼくはからだをおこしたが、そのぼくの姿はさながらきみが見も知らぬほど妖しげに色あざやかな黒色をして、鋭い嘴をさしのべながら悠然ととまっている死の鳥の、羽毛の中にひそむ一本の小さな茶緑の羽根のようだった。》