●引用、メモ。『システムの科学』(ハーバート・A・サイモン)から。
《蟻が風波の跡をとどめた海岸を、苦労しながら歩いているのを見かけることがある。蟻は前進したり、小さな砂丘を登りやすいように右折したり、小石を迂回したり、仲間と情報を交換するために一瞬立ちどまったりする。このようにして縫うように進んだり停止したりしながら、自分の巣に帰るのである。人間に擬して蟻の目的を考えるわけではないが、いま紙のうえにその道筋を描いてみよう。そうすると不規則で角ばった諸部分からなる一連の図形ができあがる。といってもそれは、蟻の動きの背後に方向感覚が働いているから、単なる彷徨の跡とはいえない図形である。》
《蟻の歩いた跡を幾何学的な図形としてみると、不規則で、複雑であり、記述しにくいものである。しかしそこにみられる複雑性は、本当は蟻が歩いた海岸の複雑さを示しているのであって、その蟻の複雑さを示すものではないのである。》
《細胞や分子のレベルでみれば、蟻はあきらかに複雑である。しかし内部環境の微視的な世界は、外部環境との関連における蟻の行動とはほとんど関係がないといいうるのである。このようなことがいいうるからこそ、微視的なレベルでは完全に相異なっているにもかかわらず、なぜオートマトンが概略ながら蟻の行動をシミュレートしうるのかを説明できるのである。》
《一つの行動システムとして眺めると、人間はきわめて単純なものである。その行動の経時的な複雑さは、主として彼がおかれている環境の複雑さを反映したものにほかならない。
さてここで、少しばかり予防線を張っておきたい。つまり私は、腺や内臓を完備している「人間全体」をここで想定しているわけではなく、以下の議論をホモ・サピエンスすなわち「思考する人間」という対象に限定しておきたいのである。》
《私はまたもう一つの方法でも予防線を張っておきたい。というのは人間は、適当な刺激によって喚起されうる、膨大な情報を記憶のなかに蓄積することができるからである。かくして私は、情報の詰まったこの記憶装置を、有機体の一部として見なすのではなく、有機体がそこに向かって適応してゆく環境の一部と見なしたいと考えている。》
●たったこれだけの特に難しくもない文のなかに、おそらく「著者が言いたかったこと」を大きく踏み越えた、様々な問題と、それへの示唆が含まれている。内部環境の複雑さは、その外部環境との関係(行動)とは切り離され得ること。行動の複雑さは、内部環境-有機体の複雑さではなく、外部環境の複雑さを表現するものであること。蟻のオートマトン有機体のとしての蟻との根本的な無関係性と、にもかかわらずオートマトンによってその行動がある程度シミュレート可能であること(蟻としか思えない行動をするからといって、「内部」までが蟻であるとは限らない)。「思考する人間」(思考に属する領域によって外部環境に対応するものとしての人間)は、身体としての人間よりもずっと単純であること。記憶は、(思考し、行動する)人間-内部環境というよりもむしろ(そこへと適応してゆくべき)外部環境に属すると考え得ること。