2020-03-31

●引用、メモ。「ようこそケアの世界へ 浜田明範(COVID-19と文化人類学発表資料)」より。人類全体が療養状態にある(だからセルフケアが必要)、と。

https://www.academia.edu/42357846/%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8_COVID-19%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6%E7%99%BA%E8%A1%A8%E8%B3%87%E6%96%99_

《日本以外の国の対策では、SocialDistancingをやるかどうか、やるとしたらどの程度やるのかという「選択」の問題として議論されており、日本でも(少なくとも私のTLでは)インテリ層はそういう枠組みで思考しがちである。》

《今回の感染症に関して言えば、その流行状況は、どこかの偉い人(政治家や大学当局など)の「選択」の結果によって決まるのではなく、ひとりひとりの人間の行動の総体の関数として表れるからである。これを、単一の「選択」の問題に還元してしまうと、さしあたりこれまでのところ日本の初期対応が成功しているように見える理由がまったく説明できなくなる。》

《しかし、これまでに世界各地で他の感染症に対して行われてきた「行動変容」のための取り組みからも分かるように、人間の行動は、正しい情報を提供すれば、即座に変わるわけではない。人間の行動を変容させるためには、その行動を予め方向づけている環境(milieu)を改編させる必要がある(浜田2015, 2017)。人間の振舞いの変容は、情報の提供や、個々人の従順さや意志の強さや、政治家への信頼によってではなく、環境の改編によって達成される(と私は主張してきたし、今後も主張していきたい)。》

《例えば、アネマリー・モルは、オランダにおける一型糖尿病のケアについての検討を通じて、「選択のロジック」に対して「ケアのロジック」を析出している(Mol2008)が、私がここで環境の改編と呼んできたものはそこでケアの方法として提示されているものとも大枠において同じだと考えている。》

《多くの非医療専門家が問題を戦略の「選択」の問題として枠づけているのに対し、多くの医療専門家がより細かな調整の問題として検討しているように見える背景には、そもそも医療専門家がそれぞれの現場で細かな環境の調整を行ってきている(あるいはそのための準備がある)ことと関係しているように思える。》

《いずれにしても、COVID-19によって、私たちは、「これまで通りの行動をすることができない」状態に追い込まれている。つまり、私たちすべてが何らかの不可逆的な「傷(疾病、障害)」をすでにおってしまっていることを意味している。》

《つまり、身体の状況に関わらず、何らかのケアを必要とする状況になっていること意味する。》

《私たちは、自らと自らの周囲の人(とりわけ70代以上の人々)の身を守るために、自らに対する特別なケアを必要とする状況に置かれている。それは、今までの行動をより繊細に変容させていくためのケアであり、環境の改編によって可能になるタイプのケアである。》

《この感染症は私たちすべてに「傷」を与えている。それによって拓かれた世界を、すべての人が新たなケアを必要とし、そのケアによって改編され続ける世界という意味で「ケアの世界」と呼びたい。ようこそ、ケアの世界へ。》